まさに、木を枯らす如く木枯らしが吹き荒れ、本当に木が枯れた。もう吹き飛ばす葉も殆ど残っていないのに、なおも吹き荒れる木枯らし。もっとも、それは木枯らしと呼ぶべきではなく、冬を乗せた北風なのかもしれない。


あれ程待ちわびていた紅葉だったけど、あっと言う間に終わってしまった。そして、想像していたのとは、少し違いがあった。ピーク時には里山一面が絵の具の赤色のような紅葉に囲まれると思っていたけれど、実際は、あっちで色づき、こっちで散るといった具合に、赤色は里山を転々としていた。山、里山と一言でそう呼んでも、実際は、一つの葉や、一つの枝、一つの根たちが、それぞれ集まって生きる場所。赤く染まるのに時間差があって当然だった。
木々に緑が付く春、深緑の夏、紅葉の秋。そして、その葉が散るまでを、間近で見て、一つ一つが命であることを感じた。山を転々と移動する赤色は、まるで秋が里山をウロウロしているみたいで、それもまた風情だった。


里山に生きるものは、木や草などの植物ばかりではなく、動物もいる。
最近の北登は、稲刈り後の田んぼに妙に興味を持っている。切り株を嗅いだり、土を嗅いだり。北登なりの季節の堪能の仕方だと思っていたけれど、そうじゃなかった。北登は、あちらこちらに残された足跡と匂いから、里山の主の存在を気にしていたのだった。
残された無数の足跡。それから猪の姿が脳裏に浮かび、ゾッとした。明雄さんから話には聞いていたが、本当に来た!と思った。そして、本物を見たときは、さらにゾッとした。一瞬しか見えなかったけれど、本物は想像した姿よりも数段大きく、ものすごく強そうだった。その大きな猪から、わずかな米と他の作物を守らなければならない。しかし、猪の方も、食糧が少なく、困っているのかもしれない。里山の恵みを分かち合う者同志、共に仲良く暮らせないものだろうか。


11月22日は暦の上では小雪。「寒さまだ深からず、雪まだ大ならざる」という意味を持っているらしい。結構な厚着をしているのに、「寒さまだ深からず」と言われると、正に寒気が走る思いだ。

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