先週から吹き続ける風。静かに頬をかすめるだけの時もあるけれど、大抵が大きな音を立てて強く吹き荒れている。最近、少し聞き慣れてきたその風の音だけど、先日、その音の中にもっと聞き慣れている音が混ざっていることに気がついた。水車の音だ。まわりに氷をまとったままで、ゆっくりと水車が回り始めた。木のきしむ音と、一定の水が一定の間隔で流れていく音。


 回転する水車を見てみると、まだ僅かな氷をまといながら回転する水車。その大きな輪は、氷を落としながらゆっくりとペースを上げ、以前のような豪快な回転を見せだした。それは、夏の強い日差しの下、収穫したばかりの小麦を挽く時のように、いきいきと働いているようにも見える。しかし、近づくと、風に乗ってくる水しぶきと空気は驚くほど冷たい。その見た目とのギャップは、よりいっそう僕に今の季節を感じさせた。
如月も間も無く終わり、いよいよ弥生だ。


 「水車が回りだせば、春が訪れる」こんな感覚が、もしかすると昔の人にはあったかもしれない。水車が水を運び流す音が止めば冬で、その音が再び聞こえ始めれば春。気温が低く、水量が少ないところでは、僕が感じたように、昔の人たちも水車の前で春を感じたのだろうか。人から伝えられるばかりの先人たちの季節感を、自分だけが発見したみたいだ。限られた季節に、限られた場所でしか遭遇できない場面。回りだした水車で久々に小麦をひいて、今晩はうどんでも食べようか・・・。


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