宣言を聞かなくても、梅雨入りしたことが分かる今週の天気。昨年は、この梅雨がいつまでも明けることがなく、ズルズルとこんな天気が続き、作物に大きな影響を与えた。少し心配しながら、畑の様子を見てみると、大きく育った緑の中に、いくつかの花が咲いていた。キュウリ、ジャガイモ、トマト、それぞれしっかりと花を開いていた。そして、その花を見ながら思った。



 耕した畑に咲く花と、野に自生する野花。花は花でも、この二つには、何か大きな違いがありそうだ。
 今咲いているものや、自分の撮った写真を見比べてみた。しかし、畑の花は黄色が多いことは分かったが、そのほか形などには、野と畑を分ける大きな違いを見つけられなかった。そもそも、僕が見た程度で分かるほど、花も単純な形はしてない。
 では、どうしてこの二つの印象がこうも違うのだろうか?僕が求めていた答えは、その言葉そのもので、「印象が違う」そこにあった。


 野に自生する野花を目撃した時、僕は少し得をしたような気分になる。それは、そこに咲いていることを知らずにそこへ行き、綺麗な花を見ることが出来たから。そして、畑に咲く花を見た時、僕はホッとする。それは、自分の手でまいた種が順調に育っている証でもあるし、僕はその場所にその花が咲くことを知りながらそこに行くから。
 見て得をした気分になる花と、見てホッとする花。これが僕の思った二つの大きな違いだった。
 たったそれだけのことに気付いただけで、心がスッキリして気分爽快だ。外は今も雨が降っているけれど、僕の気分だけは晴れた。


 

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