僕が初めてこの村にやってきた時は、紅葉狩りするのにちょうどいい季節だったのを覚えている。村を囲む山々が赤色や黄色でとても賑やかだった。村のどこを見ても、その賑やかな木の葉が目に入り、とても印象深く美しい風景だった。それからもう二年。今また里山が色付きはじめた。心の中で「二年かぁ」と考えるより、こうして三回目の村の紅葉を見ているほうが、二年という月日がすんなり実感できるから不思議だ。二年前、自然と暮らすということがこういうことだとは思ってもいなかった。葉が木から落ちる前の鮮やかさに、「綺麗」の他にもいろんなことを感じることができている。


 それにしても、ここには本当に綺麗なものが多い。特に秋という季節は綺麗がゴロゴロしている。


 夕方、五時頃に外に出ると目に映るもの全部が赤みを帯びていた。目の前で懐中電灯を当てられ続けた後みたいになっていた。上を見てみると、雲もピンク色に染まっている。これは夕日のせいだった。赤い夕日の色が全てを赤くした。古民家も役場も赤く、里山の紅葉はなおさらに、さっきまで緑だった針葉樹さえも。おそらく僕も赤くなっていた。でも、この日一番綺麗だったのは夕日でもなく、赤く染まった僕でもなく、ただ一つ青く澄んだ空。


 いつもに増して青い空を見あげていると、とても不思議な気分がした。遠いけれど近いようなものに思った。厳しいけれど優しいものに思った。あるけれどないようなものにも思った。そんな曖昧な存在だけど、この日たった一つの青色は、その存在を考えさせる綺麗な空だった。


 

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