今年も遂に田んぼの稲を刈る時期がやってきた。
  年に一度の大仕事を前に、生きている稲をじっくり眺めた。陽の光が透き通る黄緑の葉も、半円のような曲線を描く穂も、本当に綺麗で健康そうな姿をしている。刈り取ってしまうのが少しもったいないと思ってしまうほどだ。


 刈り取りがはじまると鎌を持つ手と稲を持つ手からも、良好な稲の状態は伝わってきた。太くしっかりとした茎は、鎌を入れる度に新鮮な音をたてて切れて、持ってみると先の方でぶらんぶらん揺れる穂の振動が茎から手へと伝わってくる。  それら一つ一つを身体全体で感じながらの作業は、大仕事ながらも気持ちの良い作業であり、喜べる作業でもあった。


 収穫が終わり、逆さまになって乾燥させられる稲。そこは、ふっくらした米粒が集められていて、「豊作」という文字が頭に浮かぶ光景になっている。そして、刈る前に比べると少しだけ、茶碗の中のあの白いお米に近づいたような気がした。ここから食べられるようになるまでまだまだ時間がかかるけれど、早く食べたいという気持ちはどんどん膨らんでくる。田んぼから切り離され、栄養源をなくした稲。ここからは生かすも殺すも僕たち次第。必ず美味しいお米としてお腹の中に入れてあげたい。



 

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