急に冷え込み始めた。朝にでる白い息が秋の深まりを感じさせる。だからここぞとばかりに北登と村を走り回った。それから温め過ぎた体を田んぼの土手で冷やした。そして、目の前の稲を見て僕は二つのことに気が付いた。


 一つは、稲を見ているとお腹がすいてくること。自分で気が付いて少し恥ずかしくなった。まだ食べられもしない稲を目の前にして腹をグゥと鳴らせるのは何か変だ。でも、これは稲があの白いご飯に変身することを体で知って、覚えてきたことの証の様な気もして恥ずかしい反面、誇らしい気持ちにもなった。


 そして、もう一つは、自分自身お米が大好きだったということ。収穫の秋を迎えて僕の舌が作物を批評し始めたせいか、急にそんなことに気が付いた。些細な発見だけど、「白いご飯が好き」と思うと、それだけでとても晴れ晴れとした気分になれた。何故そんな気分になれたかというと、今までは好物なものを自分は本当に好きなのかどうか自信がなかったからだと思う。食べたいと思ったら直ぐに食べられる環境にあったせいか、自分自身で本当に好きなものがよく分かっていなかった。今では食べたいと思っても作物が生長しないと食べられず、食べるにはそれなりの時間と苦労が必要になっている。僕はその上で白いご飯が好きだと思えた。そして、それはとてもいいことように思い、今の環境に本当に感謝している。食べ物だけでなく、本当にしたいこと、本当に会いたい人、本当に必要なもの、いろんなものを自分に気付かせてくれる環境でもある。


 ただ、いろんなことに対して好き嫌い言ってはいられない。本当に好きじゃなくても、目の前にあることに感謝しなくてはならないと思う。


 

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