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そして、目の前の半鐘を叩けばもっと違ってくる。違ってくるけれど、その景色とその鐘の音は見事に調和している。「コーン」「ボーン」「カーン」「ゴーン」。全部混ざったような音色が、茅葺の屋根に、畑の土に、里山の木々に、違和感なく染み込んでいく。思わず僕も「おおおお」と言ってニヤリとしてしまう。 |
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昨年の夏、半鐘の型の土を探して里山に入る時は、先が見えないというか「半鐘をつくっている」という実感がかなり薄く、こんな心地良い音が聞けるなんて、考えられなかった。 火の見やぐら、そこに吊るされる半鐘、そしてそれがだす音色。自分たちの力でつくり上げたと思うと、表情も緩んでしまう。 | ![]() |
怯えながらはしごをのぼり、景色を一望しては、鐘をついてニヤつく。こんなことを火の見やぐらが完成してから何度もやっている。何度もやっているけれど、やめられない。 火の見やぐらにのぼるのはともかく、用もないのに何度も半鐘を叩くのは、良くないことかもしれない。やめられないとなると、傍から見れば狼少年だ。でも、僕がやぐらにのぼり、半鐘を叩くと、いつもと言っていいほど、役場から明雄さんが出てくる。そして、「もっと強く叩けぇ」と言う。明雄さんも用もないのにこの音色を聞きたいみたいだから、「まあいいか」と思った。 |
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