風が吹けば、カラカラと音をたてながら赤や橙の葉が木から離れて宙に舞う。その度に、紅葉の時期が終わることや、次の季節が迫ってくることを感じる。綺麗な景色でもカラカラという音が聞こえれば、少し寂しさの混じった景色に早変わりする。そして、この景色の中、僕は心の中で寂しそうな言葉を呟いてみたりする。

 このカラカラという乾いた音自体は、特に寂しいという訳ではない。綺麗なモノがなくなっていくと思っているからこそ寂しさが音に混じる。音を聞いて嬉しくなったり悲しくなったり。寒くなって元気になったりしんどくなったり。こういったことは、僕たち人間にはよくあることだと思う。




 春夏秋冬、北登はいつも走り回っているけれど、秋には急に足を止めて遠くを見つめることがある。目線の先は大体が山なのだけれど、とてもそれを見ているようには思えず、もっともっと遠くの山、もしくは目を開けているだけで何も見ていないような目をする。

 何を見ているのかは分からないけれど、そんな時の北登の表情は、何かを感じたり、想ったりしている様子だ。僕たちが音を聞いて冬を想うように、北登も音を聞いたり、匂いを嗅いだり、走って風をきったりして何か想うことがあるのだと思う。何を想っているのかは、はっきりとしないけれど秋に見せるあの遠い目とあの表情は毎年同じだ。僕たちと同じように心の中で、しみじみとひとり何かつぶやいているのだと思う。

 僕と同じ景色の中で、同じ音を聞いて、同じ風を受けている北登。どんなことを呟いているのだろうか?




 

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