冬の間、雪で埋もれてしまうこの村では、暖かい季節に収穫しておいたものを貯め、凍らせ、冬ならではの味わい方をする習慣がすっかり根付いている。
  今年、初めて挑戦する凍み蕎麦。カラカラに乾燥した姿を見ては、いつもその味を想像し、唾を飲み込む。甘味が出ているのだろうか?引き締まるとはどんな味のことなのだろうか?とても楽しみだ。

 冬ならではの物で、もうひとつ初挑戦だったのが雪納豆。暖かい雪の中で大豆を発酵させ、納豆にしてしまうという。
  そんなことができるのかと疑いつつ、僕は本当に納豆ができてそれを食べる時のことを想像し、恐れ、おののいた。実は、僕は昔っから納豆が食べられない。




 雪の中に、ワラで包んだ大豆を入れた。自分たちで育てた大豆を納豆にするという作業は、それを食べるということにはあまり関係がなかったようで、僕の気持ちはいつもの作業と変わりなく、納豆へと変身する大豆たちを見守ることができた。
 雪の中で大豆は熱を保ち、発酵を進ませ、そして、雪納豆が完成した。ワラの中で、糸をひく大豆たち。発酵させる前にはなかったぬるぬるとした感じが見るだけでもの凄く伝わってくる。そして、追い討ちをかけるかのように、あの匂いが鼻から伝わってくる。みんな一口食べて「納豆だ」と言っていた。けれど、僕は食べなくてもそれが何なのか一番よく分かっていた。目と鼻で認識し、危険を知らせるサイレンは、その時僕の中で鳴り響いていたからだ。

 苦手意識は苦手なものをさらに苦手にする。サイレンが鳴ってからは、本当は納豆に近づきたくもなかった。けれど、ずっと近くで見て、匂っていると、不思議とサイレンの音が遠のいてきた。意識が薄れていくのではなく、ただ匂いに慣れてきたのだと思う。それでも、さすがに食べるとなると厳しいものがある。口の中には簡単に運べるのだけれど、アゴを動かすのにはかなりの勇気が必要で、ひと噛みひと噛みが自分との戦いだった。
  そんな戦いの中、いつの間にか食べることにさえ慣れてきているのに気づき、苦手意識が薄れた。そして、料理の仕方もあって、ついに納豆を完食することができた。克服とまではいかなかったけれど、納豆を完食できたことは僕自身に大きな達成感と自信をもたらしたと思う。苦手なものがそうでなくなるのは本当に素晴しい。
  ついに現れたカエルの卵の数々を目の前に、そんな言葉を繰り返し言い聞かせた。




 

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