今週は、フキノトウが地上に顔を出した。
 丸い小さな二つのフキノトウは、村長のいる水飲み場のすぐ下に現れた。その場所も小ささも丸さも水しぶきの浴び方も例年と同じ。いつもと同じように春を連れてこの村にやってきた。

 「いつもと同じ」このことが、とても素直に大切なことだと気付かされる。それは、フキノトウなどの命を見ることができた僕たちの心が、ほんの少し温かくなれるような気がするからだ。 
 春、いつもそばにいられるフキノトウは、季節を過ぎれば会えなくなってしまう。けれど、また季節がやってくれば出会うことができる。その時、「いつもの同じ」ということが僕はとても嬉しいことに思う。




 今年も始まった畑の作業。いつもと変わらぬトラクターの音も、土に入り込むクワの音も、その感触もとても心地良く嬉しく思う。
 もちろん変わらないことだけが大切ではなく、変わることも大切だと思う。この村の畑の土は、毎年作物にとって良い土になっているけれど、果たして僕はどうだろうか?土を盛り上げてつくる畑の畝は、3年前よりも真っ直ぐに伸びているか?もちろん、明雄さんにはまだまだかなわないけれど、少しでも変化があってほしいものだ。

 季節は、一回りして僕たちの前にまた変わらぬ姿を現してくれた。その間、僕自身何か変化があっただろうか?季節と同じように回るだけではいけない。フキノトウは優しくいつも同じ姿だけれど、僕はそういうわけにはいかない。
 春はそう思わせる。

前の週 次の週