今週は毎日のように強い風が吹き荒れた。里山のなかでは、風が吹くと枯葉たちがとても自由気ままに動き出す。
  役目を終えた枯葉にとっては、これが唯一の楽しみのようで、擦れ合う乾いた音もクルクルと回転するのも、歌って踊って騒いでいるかのよう。

 小さな風のときは少数で密かに騒ぎ、大きな風のときは大勢で盛大に騒ぐ。でも、もっともっと大きな風が吹いた時は、見ていると少々おっかないほどの騒ぎよう。木々は揺れるというより大きく震えるように動き、枝と枝でまるで拍手するように音も出して踊りだす。枯葉もそれに合わせてここぞとばかりに高い位置で乱舞する。静かな里山が何かに取り付かれたように感じる瞬間だ。笑いが止まらないほど楽しそうでもあるけれど、その宴会があまりに壮大過ぎて、小さな僕なんか何かの手違いでそのまま潰されてしまいそうな、飲み込まれてしまいそうな、そんな感覚になる。似たような感覚で、夜の荒波を見た時や目の前を新幹線が通過する時の感覚を思い出す。大きさとその動きと音に圧倒されて、何故かそっちに引き込まれそうになる、あの感覚。




 轟音でうなる里山は、おっかないけれど嫌いではない。普段見せない一面を見たような気がして、さらに興味が湧いてくる。いつもは、多くの命を懐で過ごさせる心温かく大人しい里山は、風が吹けばガラリと表情を変える。まるで、里山というひとつの生き物のように思えてくる。

 その里山の中で、膨らんでいたつぼみたちがいつの間にか春の姿へと変身していた。遠くから見ても、里山の地面が見通しづらくなってきた。素っ裸の里山がようやく一枚羽織ったようだ。

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