立夏を過ぎて黄金週間も過ぎ、五月も半ばにまでなってしまった。けれど、例年と変わらぬ美しい花を僕らに見せてくれた。生きようとするからこそ咲かせる、この一輪一輪の桜の花との再会に、今年もまた心を打たれる。

 雨が多く、気温も低かった4月。樹齢50年以上の老木にとって、きっと辛い時期だっただろう。寿命が近づく桜の木は弱る一方だけど、幸運にも僕らにできることがあった。浜で採った貝殻や、アイガモの卵の殻や糞が、桜の花を咲かせる手助けになる。出来ることを全てやり終えると、前より不安は薄らいだけれど、それでもまだ安心は出来なかった。もしかすると何をやっても無駄なのかもしれない。そう思った。でもその思いは、膨らむつぼみと一緒に消えていって、日に日に期待ばかりが膨らんだ。そして、期待通り咲いた桜。いろんな感想があるけれど、一番はまた出会えて嬉しいということ。




 つぼみが膨らみ始めてから、僕は桜の花を頭の中で何度も咲かせ、この日を心待ちにしていた。頭で想像する桜、それは、本物の桜よりもピンク色で、枝を覆い隠すほど花が多くて、もっと芳しい香りがしていた。でも村のそれが咲いた時、期待外れとは思わなかった。本物の桜は、想像を超えるほど素晴らしい。それは、想像だけでは知ることのできない、50余年生きた老木だけの物語があるからだろう。それらをふまえて、この桜の木は今弱っている。そして、弱いから強く咲く。その強さは、僕には想像ができないけれど、今咲いている桜の花からは、美しさの中にその力強さも感じとることが出来る。
  弱いから強く、美しい。変な言葉だけれど、村の桜にはピッタリの言葉だ。

 この村の桜が咲くのを、4回見てきた。毎年多くを感じさせられるこの桜の木との出会いは、僕にとってとても大きなこと。まるで、今までなかったものが、心の中にある。そんな感じがしている。

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