6月。僕にとっては憂鬱が訪れる季節。全てを覆い隠す厚い灰色の雲。そこから降り注ぐ冷たい雨。心の中までもが冷たく濡れてしまいそうな季節。

 その季節は今週、村に姿を現した。同時に、先週まで個性豊かな表情を持っていたハルジオンたちも、みんな同じ表情となった。濡れたまつ毛のようなハルジオンの花びらは、僕と同じ憂鬱な時間を過ごしているようにも見える。雨に打たれることで、水車もいつもと違った様子になっている。流れてきた水を受け止めて、回転して、水を落とす、そういったいつもの動きではなく、ただ流れてくる水に少し触れるだけで休むことなく回転し続けている。忙しさに追いやられ、心を失っているかのようだ。




 それぞれの持ついつもの姿を、この雨は奪ってゆく。ハルジオンも水車も、畑に実るイチゴや青いトマトたちも憂鬱に見えてしまう。
 こう見えてしまう原因を、僕はとてもよく理解しているつもりだ。実は心が雨でずぶ濡れになったわけではなく、この雨がもたらす音に怯えているだけだ。雨が葉を打つ音、地面に落ちる音、水車の忙しそうな音、どれよりも僕の耳に一番響いてくるのがカエルの鳴き声だ。年々増え続けるカエルたちは、年々盛大に大合唱を楽しんでいる。この村はもうカエルたちのためのステージ。どこにいても、その歌声が響いてくる。そしてそれは、僕にとってどこにいても恐怖と隣り合わせということだ。

 まだまだカエルへの苦手意識は消えないけれど、それでも薄れてきたとは思っている。最近では、急にカエルが飛び出してきても、飛び上がって驚いたりはあまりしない。飛び上がらないことも進歩なのだけど、それ以上にカエルの潜んでいる場所を察知する僕のセンサーが鈍ってきたことの方が進歩と言えそうだ。急にカエルが飛び出してくる場所に反応しなくなったということは、きっと体が慣れること覚え始めた証拠だと思う。
 それでも憂鬱を消し去るまでにはなっていない。道は思ったよりも険しい。

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