「もし明日、冬がきたら。」そんなことを考えながら、休憩中の梅雨がまだ留まる村を歩いた。

 畑と田んぼの間のあぜ道。明日冬がきたらここには分厚い雪が積もっているはずだ。今はぶらぶらと地をするように歩いていられるけれど、明日は一歩一歩雪をまたいで歩かなければならない。右手の田んぼには幼い苗たちが整列しているけれど、これもただ白いだけの景色になり、左手の畑もデコボコの白い景色になってしまうはず。簡単に想像できる畑の緑のこの先の姿も、明日には雪で遮られて想像すら出来ないような気がする。




 窯場へ向かう坂道を歩く途中、顔にクモの巣がひっかかった。思わず顔をしかめたけれど、冬にはないものなのだと思うとしかめた顔はすぐ元に戻った。里山の緑色も、それがつくる暗い陰も冬にはない。代わりに冬は山の肌が見え、その向こうから吹いてくる冷たい風が顔に当たる。ザワザワと揺れる音も、カサカサと乾いた音になる。さえずる鳥の声も今の様には聞こえなさそうだ。

 窯場から見下ろす村の景色。明日冬がきたらここから見えるモノがほとんど見えなくなる。目の前に広がる当たり前の景色は、実は今日だけのもの。景色だって儚く散る花のようで、いつかはなくなる。夏だからこそ冬を想い、当たり前の景色の大切さを感じられる。季節という時間が流れる限りは、いろんなものと出会い、別れる。ないものを欲しがるより、今あるもの大切さや、それに囲まれることの幸せをもっと感じるようにしたい。

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