早起きをして外に出てみるとまだ朝日が昇る前だった。普段は朝日に起こしてもらうことが多いが、最近は私が朝日を起こしてあげている。

 「早く出てこーい」と待っていると朝日は少しずつ姿を現し、田んぼの稲達を照らし始めた。それはまるで舞台のカーテンが開かれるように、少しずつ美しい光で照らし出していった。特に今年初挑戦の「赤米」は赤くキラキラと輝き、とても綺麗だった。なぜ、朝日というのはこんなに綺麗なのだろう。ただの白菜の苗でさえも朝日に当たれば、朝露に光が反射してとても綺麗。




 そして、朝日に照らされていると、村長もいつもよりたくましく見える。本当に朝日というのは不思議だ。どうにかして私も朝日の力で美しくならないものか・・・・
 朝日も夕日も同じ大陽だが、なぜか朝日のほうが綺麗。もちろん赤色く染まる夕焼けも綺麗だが、私は不思議と朝日に魅かれてしまう。考えてみたところおそらく、朝日というのは早起きした人しかみれないという限定もので、夕日に比べると貴重な存在だからかもしれない・・・朝日がいつでも見れるものであれば、それほど感動しないものかもなどと思いながら朝日を眺めていた。

 やがて朝日は里山の木々も照らしはじめ、村が少しずつ赤く染まりはじめたことを改めて感じた。今から真っ赤に染まる村が楽しみ。そして、秋の木の実も着々と収穫に近づいている。ついこないだまで緑色をしていた栗から茶色い実がとび出していた。村の秋の味覚達は着々と準備を進めているよう。あとは、私の料理の準備とお腹の準備が整えば完璧みたい。

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