里山は秋の顔から冬の顔となり、赤や黄色と鮮やかに輝いていた里山が懐かしく感じられる。そして、色味のない里山はなんだか寂しい。
  そんな中、「寂しさ」を一気に「喜びと感動」に変えるものが私の目の中に入ってきた。それは、畑一面を白く染め、まるでどこでもドアを使って別世界に辿り着いたのではないかと疑うほどのものだった。

 その白いものとは「霜」。それも「大霜」。キーンとした冷たい空気が、なんだか気持ちよかった。でも村の作物にとっては生命の危機。「秋の露」と「秋の霜」は大違い。霜にあたれば枯れてしまうものもある。そんな不安を抱えながら急いで畑方向に走っていくと、暖かいハウスの中で無事小さい実りをつけているブロッコリーがあった。今年は霜でやられないように早めにハウスを作っておいておいたのだ。良かった。本当に良かった。




 そんな危険な霜だけれど、やはり「白くて美しい」が本音。霜の氷柱はなぜこんなに綺麗なのかと改めて氷に聞いてみたくなる。透明で綺麗に輝き、太陽の日差しにあたればさらに輝き、本当に綺麗。私とは正反対。私は、太陽に当たると綺麗になるどころか黒くなるのに、なぜこんなにも違うのだろうか・・・羨ましい限り。
  本当に美しいものは、自然にしかできないものであり、自然の美しさは人の手で作れないからこそ価値あるものだと改めて感じた。そして、そんな美しさを見ることができる私は本当に幸運だ。

 こんな美しいものが目の前にあるのに、全く気にしないやつが一人いた。
それは「北登」。本当は犬じゃなくて「北キツネ」かもと疑うぐらい、霜がたくさんついた枯れ草の上を楽しそうに走っていた。北登には霜の冷たさなど関係ないようだ。そして霜の輝く美しさも・・・・なんだか寂しい。

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