今年も無事男米が収穫でき、小粒ながらもおいしい新米を食べることができた。できるなら、そんな今年の新米をマサヨにも見てほしかった。
八木橋が亡くなって一年、マサヨも天国へと旅立っていった。
やはり夫婦というのは、どこにいても通じ合っているものなのか、八木橋が寂しくてマサヨを呼んだのかもしれない。でも私はもう少しマサヨと一緒にいたかった。

 八木橋が亡くなってからは、マサヨがヤギ一家支えてきてくれた。ひ孫のチャコも生まれ、マサヨが死ぬなんて思っても見なかった。
でもマサヨも人間でいうと、かなりのおばあちゃん。死を意識しなければならない時期でもあった。
晩秋の冷え込みが厳しくなった頃から、マサヨの様子が少しずつ変わっていった。




食欲はありつつも、徐々に足が弱り自分では立てなくなってしまった。
毎日数時間おきにマサヨを立たせてあげて、体や足をさすってあげる。
私は、これを苦痛だと思ったことは一度もなかった。
なぜなら、マサヨがきちんと立てているのだと喜びを感じることができる時間だったから。でもそれと同時に、いつ立てなくなるのかという恐怖にかられる時間でもあった。
  マサヨのために他にできることはないかと思い、八木橋の時にもお世話になった専次郎さんに相談して見ると「夜の冷え込みが一番体力を奪うから、とにかく暖かくしてあげることだ」というアドバイスをもらい、皆でちゃんちゃんこを作り、寒い夜には着せてあげた。とにかく、少しでもマサヨに長生きしてほしいという気持ちでいっぱいだった。

 そんな看病をしていたある朝、マサヨは安らかな眠りについた。
マサヨの顔を見ていると自然に涙があふれてきた。この8年ありがとうという気持ちでいっぱいになった。
生きるものすべてには死がつきものであり、避けては通れないもの。
  「死」はとても悲しく、辛いことだけれど、それに立ち会えるからこそ、「生」の大切さをより感じることができるのかもしれない。
これからは、マサヨのためにも皆で協力して頑張っていかなければ。

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