「本日、村人を卒業します」

 本日をもって村人を卒業することになりました。
村人になって3年7カ月。長いようで、短かった気がします。
 この3年7カ月を振り返ると色々な気持ちがこみ上げてきて、この日記にすべての気持ちを書くのは難しいというのが、今の正直な気持ちです。

 その中でも1番私の心に残っていることは、「八木橋」「マサヨ」との別れです。
村の生活の中で1番長い時間を過ごしてきた2人が亡くなった時の悲しみは大きく、「死」というものをあれだけ直に感じたことはありませんでした。
 2人が苦しんでいても一緒にいることしかできない悔しさは、私が持っている力なんて小さなものなんだな、と感じた瞬間でした。でもそれが「自然と共に生きる」ということだと実感した瞬間でもありました。


 そんな時、私を励ましてくれたのは明雄さん。明雄さんはこの時だけでなく、どんな時も私を応援してくれ、助けてくれました。村人3年7カ月の生活の中で、人の温かさを感じなかったことはありませんでした。明雄さんをはじめTOKIOの皆さん、近隣の皆さん、制作スタッフの皆には本当に感謝しています。


 そして、ものづくりを通して色々な経験もさせてもらいました。
墨の作り方を学ぶため和歌山県の墨工房に行ったり、ガラスの作り方を学ぶため宮城県のガラス工房に行ったり、南国作物を育てるため沖縄県のバナナ農家に行ったり、村人になっていなかったらできないような経験を沢山させてもらいました。
 それらを通して学んだことは、ものづくりは1人の力ではできないということ。まわりの人の協力があってこそ成り立つものであり、そして1人1人が尊敬し信頼し合わなければならないということ。

 しかし、その中でも甘えてばかりはいられないということも学びました。1人1人が責任を持ってこそ、1つのものが出来上がり、1人でも欠けていたら成り立たない。これは番組づくりにおいても言えること。
 そんな事を日々考える中、私も村での経験を生かしディレクターとして番組づくりに関わりたいという気持ちが強くなっていきました。
 村で学んだ「自然の素晴らしさ」「人の温かさ」をもっと多くの人に伝えるためにも、自分自身の手で、その素晴らしさが伝わるような番組を作らなければならないと思うようになったのです。


 こう思えるようになったのも、村人としての3年7カ月があったからこそだと思います。
自分の手で作物を育て、動物達と肌で接することで、より食べ物に感謝でき、生き物に感謝でき、それらと共に生きる大切さを学ぶことができたからこそ。
 今後もこれまでの知識と経験を生かし、制作の立場から村づくりに関わっていければと考えています。
 村人安部景子は一度終わりますがここからはディレクター安部景子として
 さらに頑張っていきますのでよろしくお願いいたします。


 私に代わって村人となるのは、「山口礼斗(やまぐち れいと)」という男です。彼は、DASH村スタッフの後輩にあたります。
 彼は村のスタッフになってすぐに村の住人達とも仲良くなり、今では手馴れた様子で皆と散歩をしています。
 ヒツジ姉妹は、彼の後ろをついて歩き、北登も彼を見るとしっぽを大きくふります。みんな彼には心を許しているみたいでした。それもあって私は彼に村人を任せようと決心しました。
 彼は寡黙な人で気持ちが伝わりづらい部分はありますが、誰よりも優しい心を持っています。彼であれば、また私とは違った村づくりができると信じています。4代目となる村人「山口礼斗」を宜しくお願いします。

 最後に、DASH村をご覧の皆様、本当にありがとうございました。
皆様の励ましがあってこそ、私はここまで頑張ることができたと思います。本当に、本当にありがとうございました。
 これからもDASH村を宜しくお願い致します。

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