「共に歩んだ 尊い隣人」

明雄さんを筆頭に、DASH村には支えてくれる近隣の方々が多くいる。
作物の栽培のアドバイスをしてくれる人、作業に必要な道具を色々と作ってくれる人などがいるからこそ、今の村があるといっても過言ではないと思う。
だから、村も賑やかで楽しかった。
村では、日中別の場所で作業をしていると、どこからか近隣の方々の会話と大きな笑い声が聞こえてくるし、一緒になっておしゃべりする事も多い。
忙しくてお昼を食べ損ねてしまっている時など、「ちゃんと飯は食え〜」と心配もしてくれる。そんな時、ごちそうしてくれる差し入れは、初めて食べる物ばかり。わらび炒めて砂糖をまぶしたお菓子やイチジクの甘露煮など東京ではなかなか食べられない物ばかり。

炎天下、作業をして熱中症になりかけてしまった時は、真っ赤な僕を心配して、様々な方法で対処してくれた。首の後ろと両脇の下を氷で冷やし、さらには熱を下げるからと大根を下ろし、それをタオルで包んで額を冷やしてくれた。大根臭くはなったけど、そのおかげで何事もなく顔の赤みもすぐに引いた。
他にも、学校では教えてくれない暮らしに密着した知恵をたくさん持っていた。例えば、囲炉裏やかまどの灰。この灰を使って山菜のアク抜きを行ったり、汚れ落としで使ったり、おやつを作ったりと様々な活用方法がある。初めて聞いた時は、灰をこんな事に活用出来るとは思いもよらなかったし、ましてや調理方法の一つになるとは驚いた。




大震災の時は、ちょうどロケを行っており、昼食の用意やロケのお手伝いで近隣の方々が村に集まっていたので、みんなの安否はすぐに確認出来た。しかしその後、原発の混乱で避難場所が分散した上、携帯電話を持っていない人が多かったため連絡が取れず、3月11日以後1ヵ月以上も行方が分からない人もいた。
この3ヵ月で周りの環境がガラリと変わってしまい、毎日のように顔を合わせ一緒に笑い楽しい時間を共有していた近隣の皆さん方とは、もう何年も会っていないような気がする。

僕は参加する事が出来なかったけれど、温泉宿に久々に集まった際、現状を確認し合えたので安心した。僕自身、村に戻れない状況になって、近隣の方々への感謝の気持ちはもちろん、村の良さに色々と気が付く面も多い。近隣の方々が作ってくれるあの村の味「豚汁」も時々無償に食べたくなる。大自然に囲まれながら、野菜を栽培し、動物たちと暮らし、近隣の方々に知恵を学ぶ。早くこういう日常が取り戻せたらと心から思う。

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