「太陽と熱意が生んだ 宮崎マンゴー」

『太陽のタマゴ』。もちろん名前を聞いた事は何度もあったが、高価なものなので、とても手が出せないと感じていた。今回、お手伝いさせて頂き、高価な理由が納得出来た。手厚い管理の元栽培される上、いざ出荷するという段階になっても、形・大きさ・傷の有無など厳選なる審査をいくつも突破しなければ『太陽のタマゴ』にはなれない。
実は僕自身、マンゴーの実をならすのがどれだけ大変なものかすでに分かっていた。

なぜならDASH村の南国ハウスで、バナナやパイナップルと同時にマンゴーも栽培がスタートしていたからだ。バナナ・パイナップル・パッションフルーツはとっくに収穫も済んでいたが、マンゴーだけは、結局実をならす事は出来なかった。苗をいただき、剪定を繰り返し、枝を増やし、樹自体を大きく生長させ、いよいよ花を咲かせる準備を始めようとしていた時の地震。うまく行けば、今年の春には僕たちが育てたDASH村マンゴーを味わえていたかもしれない。しかし、今となってはそれも叶えられない。手塩にかけて生長させていたので、残念でしかたがない。




DASH村では、叶わなかったマンゴーの収穫を、今回は本場でお手伝いさせて頂いた。宮崎のマンゴーは本当に真っ赤な色をして、1つの樹にいくつも付いており、本当に見事なものだった。そしてなにより、ビックリするくらい美味しい。どう表現すればいいのか分からないが、とにかく濃厚で芳醇。今まで食べたマンゴーでダントツ1位だ。
そして、ここで出会った農家さんはテレビに出てくるお笑いの人なんじゃないかと思うくらい、面白い人で何度もお腹を抱えて笑った。入った瞬間ホイットニー・ヒューストンの曲が大音量で流れ、現れたと思ったらハウスの中で上半身裸なのだ。上半身裸で作業しながらも、収穫の途中には特技の社交ダンスも披露してくれるのだ。あんなにおいしいマンゴーも初めてだったが、あんなに面白い人も初めてだった。明雄さんも、「ニコニコしていて、面白い人だから商売人に向いてるな」と言って、何回も笑っていた。

ただ、マンゴー栽培に関しては、管理も徹底していた。温度は低過ぎても高過ぎてもダメなので、しっかりした管理がされてないと太陽のタマゴは生まれない。30〜40個くらいしか収穫しなかったのに、太陽のタマゴとして3つも選別された。確率的にいっても、凄い事だ。
そして、同じく訪れたキュウリ農家の方は、なんと僕と同年代だった。なのに、強い志を持って農業に取り組んでおり、その姿勢や心構えには感服させられた。なにより農業が楽しくて、その道を突き進み、自らの意志をしっかり持っていた。自分もそんな頑張る同い年の新鋭農家さんに背中を押された気分になった。

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