突然見えていた左側の世界が消えた青年 原因は脳にあった?
1986年、兵庫県神戸市で生まれ育った小林春彦さんは中高一貫の進学校に通い吹奏楽部で活躍。 リーダーとして全国大会にも出場し、高校卒業後は予備校に通い東京大学を目指していた。
しかし18歳の時、道を歩いていると突然目の前の世界が歪み意識を失って倒れてしまった。医師の診断は脳梗塞。右脳の大部分が壊死、さらに脳の損傷部分が大きく、血管から水分が漏れて脳内に溜まり、脳がむくみ、大きく腫れ上がる状態に。一刻も早く右側の頭蓋骨を取り外す手術が必要となった。
手術は成功したが、小林さんが意識を戻したのは1週間後。幸いにも記憶もしっかりしていて言語も問題なかったが、左半身が麻痺し動かすことが困難に。
必死のリハビリで左半身は少しずつ動くようになっていったが、病院の廊下を歩いているとまっすぐの廊下の先が、まっすぐなのか下に落ちているのか分からなくなり混乱してしまう。医師に相談しても「目の錯覚だから」と、脳で起こる現象を理解している医師は少なかった。
脳の機能は基本的に、左脳が言語や計算など論理的なことを、右脳が見える情報を処理する映像的能力など直感的理解に関わると言われている。右脳を損傷した小林さんは、目で見える世界を脳が正常に処理できなくなってしまったと思われ様々な異変が。鏡で自分の顔を見ても歪んで見え、今まで記憶にあった自分の顔はどんな顔だったのかわからなくなる。
これは顔の見分けができず、誰なのか分からなくなる相貌失認と言われる症状だ。
この脳の異変は一貫して起こっているわけではなく、天気、気温などの環境で変わるため、いつ相貌失認が襲ってくるか分からなかった。
小林さんと同じように右脳を損傷した医師・山田規畝子さんは自らの体験を医師として伝えたことで、脳の不思議が理解されるようになったという。彼女の場合は色違いのタイルの道に来ると模様なのか・穴なのか・出っ張りなのかがわからなくなり、階段もただの横線にしか見えず、上りなのか・下りなのかが分からなかったという。
小林さんは、ある時視界から左側が消え、家の中を歩いていても左にあった椅子の存在に気づけなかったり、道を歩いていても電柱に全く気づかないという。
これは半側空間無視という症状で、側頭葉や頭頂葉などの空間を認識する部分が損傷すると、目では見えているのに脳が認識できなくなるという。
小林さんは東大受験を諦めず勉強を再開するが、教科書を見ていても文字の左側しか認識できない。注意深く見ようとすればするほど集中した部分の左側が消え、単純な計算も左側を見過ごし間違えるため、勉強どころではなかったという。
また、身体に障害がある人が受験をする際には代読など特別措置を受けられたが、この当時、他人には理解されない脳の症状には認められなかった。
そして小林さんは倒れてから約1年、自分の脳の症状に当てはまる病気を見つける。高次脳機能障害という、脳が損傷を受けたために起こる障害だった。そのメカニズムは医学界でも分からないことが多いといい、高次脳機能障害の患者を受け入れている病院を探し診察を受けた。
さらにその後、東京大学にて最新のテクノロジーで障害者の困難を補うことを研究している中邑賢龍教授の存在を知り、自分の置かれている状況、苦しみを教授に打ち明けた。中邑教授は「やるべきことは、治すことよりも気づくことだと思うよ」「これまで一生懸命リハビリして、自分にできないことは何かわかったんだからそれを治そうとするんじゃなくて、代替え手段で補えばいい」と伝えた。
小林さんは、病気を受け入れ、テクノロジーの力を借りて生きるのも悪くないと思い、20歳の時に上京し障害のある学生に様々なテクノロジーを使い進学や就職を支援するプロジェクトに参加。そして、同じ障害で苦しむ人たちへ新たな生き方があることを伝えた。
現在、小林さんは文章を読む際代読機能を駆使、音声読み取り機能を活用し縦長のモニターを使い、左右に文字が広がらないようにもしているという。
そして、脳の障害者が受験で特別措置を受けられるよう訴え続け、13年前認められた。外見からはわからない障害で苦しむ方々へ新たな生活方法を提案し続けている。