東日本大震災発生の17日前に起きたニュージーランド地震 ビル崩壊で多くの日本人学生の命を奪ったが建物に欠陥が…天災ではなく人災か?忘れられた大災害の真実とは
2011年に起きた「ニュージーランド地震」。日本人28人もの命が奪われたにも関わらず、どんな真実があったのか知る人は少ない。遺族が人災と訴えるその訳とは。
今回、この地震で娘さんを失った横田政司さん、堀田和夫さんに取材し、再現ドラマで紹介。
2011年2月22日、ニュージーランド・クライストチャーチの市街地にある6階建てのCTVビルの4階には語学学校があり、多くの日本人が語学研修に来ていた。
午前中の授業が終わり学生はカフェテリアにいた。午後0時51分(日本時間午前8時51分)、マグニチュード6.3の直下型地震が起きた。
地震から20分後、富山市内でメガネ店を営む堀田和夫さんの元に娘が通う専門学校から連絡が入った。横田政司さんにも職場に向かっている時に連絡が入った。すぐに専門学校へ向かい、学校の事務員から「生徒たちがいるビルが崩れたそうです」と知らされた。
倒壊したCTVビルでは火災も発生。
地震発生の翌日、日本から国際緊急援助隊の第1陣66人が現地へ向かった。
その翌日、我が子の無事を信じ留学生の家族たちはニュージーランドへ向かった。
しかし安全確保のためビル倒壊現場の半径2km以内は立ち入り禁止区域となり、家族であっても入ることは許されなかった。
現地まで来たにも関わらず何もすることができず、情報が入ってくるのを待つだけの家族。
翌日、娘がどんな生活をしていたのかとお世話になったホストファミリーの家へ向かった横田さん。娘が使っていた部屋を見せてもらうと、ベッドには出発の日に父のことを大好きだった娘が「パパの匂いがするもの持って行きたい」と持って行った父のタオルがあった。
ニュージーランドに来て6日。家族はようやくCTVビル倒壊の現場へ行くことが許された。だがバスから降りることは許されず、バスが停車できるのは数分程度。ビルはエレベーターホールだけが残り、倒壊した瓦礫はほとんどなくなっていた。
その光景に悲しみの中、家族たち誰もが気になった事があった。倒壊したCTVビルの周りの建物は全く崩れておらず、隣のレンガ作りの建物でさえそのまま残っていた。なぜこのビルだけが倒壊したのか?
地震発生から9日。ニュージーランド政府は生存者がいる可能性はないと判断し、CTVビル倒壊現場の救助作業の終了を発表した。
日本国内であれば家族が遺体を見て確認することが出来るが、国際的マニュアルでは大災害の場合、視覚での身元確認の信頼性は低く認められていないことがあった。ニュージーランドも、主に歯型の一致など法医学的に本人確認ができないと家族ですら会うことはできなかったのだ。
横田さんは日本で待つ息子に頼み、歯型が分かるものを日本から取り寄せた。
3月10日、一部の家族は家の事情もあり一時帰国。その日娘の確認が取れたため帰国をやめ、息子たちを日本から呼んで一緒に対面することにした堀田さん。そして息子から、東京の空港に向かっていると連絡があった直後、日本時間の午後2時46分、東日本大震災が起きてしまう。
2日後の3月13日、成田ではなく大阪からニュージーランドに到着した堀田さん家族は、ようやく娘と会うことができた。
東日本大震災は、想像をはるかに超える被害。震災翌日にはニュージーランドに来ていた国際緊急援助隊も帰国した。さらに倒壊現場や遺族たちの取材をしていた日本のメディアもニュージーランドの遺族の前からぱったりといなくなった。遺族の苦しみは世間の耳に届くことはなくなっていく。
ニュージーランドに来て19日、横田さんにも確認が取れたと連絡が入った。日本から取り寄せた歯型が一致したという。翌日、娘の遺品が残っていたと連絡が入った。
ピンク色のリュックは母が買ったもの。リュックの中には画面の割れた携帯電話が出てきた。そして、出発の1週間前にプレゼントしたデジタルカメラも入っていた。
3月16日、東日本大震災で日本中が混乱する中、横田さんは娘とともに帰国。
ニュージーランド地震での死者は185人となり、遺族たちは何度もニュージーランド大使館を訪れ、多くの死者を出したビル倒壊の責任の所在を明らかにするよう訴え続けた。
地震が起きて以来、遺族は追悼式に参加してきた。そして第三者機関発足から1年半、最終的な調査報告が発表された。1つは耐震について、柱が細く設計自体に問題があったことと、施工も鉄筋の数が少なく接合が雑など手抜きとも思える工事だったこと、もう一つは、そんな設計に対して市が認可してしまった事だった。その内容は遺族にとって怒りしかなかった。
しかし2017年11月、大きな自然災害が起きた中設計関係者の過失が死亡を招いたとするには証拠不十分とし、起訴は見送りと判断された。
これまで堀田さんは遺族を代表して、2月22日に開かれるクライストチャーチでの追悼式に参加してきた。現在CTVビル跡地は公園となり、小さな献花台が置かれている。地震から9年がたった2020年2月、クライストチャーチ市長が来日し、富山を訪問し遺族に初めて謝罪した。