特捜部に狙われた女性官僚
ある日身に覚えのない罪で逮捕された女性。
その罪は、なんと検察による捏造だった。
郵便不正事件…厚生労働省が組織的に郵便料金の不正に関わったとされたありもしない事件。
これは絶対権力と戦い続けた女性と家族の454日の記録。
2004年、東京にあった障害者団体を名乗る「凛の会」である悪巧みが進められていた。
その内容とは「ダイレクトメールを会報に同封すればたった8円で出せる」というもの。
郵便法では、障害者団体のための割引制度があり、通常は一通120円かかる定期刊行物が、この制度を使えば、僅か8円で出せるのだ。
凛の会はこの制度を悪用し、ダイレクトメールを送りたい企業に声をかけ120円かかるものを8円で送り、その差額と企業から得る広告費で多額の利益を得ようと考えた。
但し、これには厚生労働省が発行する障害者団体証明が必要だった。
そこで凛の会は…証明書の発行を厚労省に申請。
しかし、この件の担当者だった係長は、当時初めての予算の作成に追われその証明書の発行を先送りする。
度重なる催促…しかし、証明書を出すには6人以上の上司の決裁が必要。
追い詰められた係長は正規の手続きを踏むことなく、他の職員がいない時間に、当時企画課長だった村木厚子の印を勝手に押し、自分一人で仕上げてしまった。
これは犯罪行為。
そして、その日のうちに凛の会に証明書を渡した。
係長による単独の判断での犯行、これが事件の真相だった。
5年後、この偽造証明書を使った郵便不正事件が発覚し、大阪地検特捜部が捜査に乗り出した。
そして、凛の会関係者など10人を郵便法違反容疑で逮捕。
不正に得た利益はおよそ211億円にのぼっていた。
このとき、特捜部はこの事件には黒幕がいるとみて、ある人物に狙いを定めていた。
それが当時厚労省局長の村木厚子だった。
そして2009年5月26日。
この日ついに、証明書を偽造した容疑で係長が逮捕された。これで事件は全て明らかになるハズだった。
だが、事態はとんでもない方向へ進んでいく。
本人の知らないところで作られた筋書き
マスコミは上司の村木を追い回した。
一方、検察はなぜか村木を呼ばず、周りの職員や元の上司を事情聴取していた。
それもそのはず、検察は大物の村木逮捕を目指し架空のストーリーを作り上げそれに合う調書を職員から取っていたから。
不安になった村木は弘中惇一郎という弁護士に相談。
弘中惇一郎弁護士は社会的に注目を浴びる数々の裁判で実績を残してきた人物だった。
この事件には変えることのできない3つの事実がある。
1つ目は2004年6月8日に凛の会が日本郵政公社に申請書類を提出した際、障害者団体の証明書を出さなかった事。
2つ目はその2日後の6月10日に証明書を提出したこと。
3つ目は係長が作成した偽の証明書の日付が5月28日だったこと。
大阪地検特捜部のでっち上げストーリーもこの3つの事実を巧みに利用していた!
その筋書きはこうだった!
まず凛の会の会長がある人物と会う所から始まる。
相手は石井一衆議院議員。そして石井議員は面識のあった厚労省の担当部長に電話した。
部長は当時企画課長だった村木を呼び、村木課長の案件となった。
2004年6月8日、凛の会は村木課長が動いているので証明書無しで、障害者割引を承認してもらえると考えた。
だが、証明書が必要だと郵政公社から指摘され、村木が係長に正規の手続きを踏まなくてもいいからすぐに作れと指示。
そして、係長は凛の会が希望したとおりに5月28日に遡った証明書を作成した。
その正規のルートを踏んでいない証明書を自分の席で凛の会・会長に渡し、凛の会は6月10日、不正入手した偽の証明書を郵政公社に提出した。
これが検察のストーリー。
事実は係長が単独で証明書を作っただけなのに、なぜか全く関係のない石井議員と村木を入れ混み議員と厚生労働省の組織ぐるみの犯罪にでっち上げた!
検察はこのねつ造したストーリーを真実とし…6月13日、大阪地検から村木厚子のもとに事情を聞きたいと連絡がきた。
そして恐ろしい取り調べがはじまる。
村木は説明したらわかってくれると思い、すぐに大阪へ。
だが、この取り調べは村木が指示した事件であると決めつけられていた。
検察は村木を虚偽有印公文書作成、同行使の事実で逮捕。
それは村木から係長へ偽の証明書発行の指示があったとする罪だった。
ここから454日にも及ぶ闘いが始まる!
身勝手な取り調べ…家族のために耐える日々
村木が入れられたのは通称・カメラ房と呼ばれる広さ2畳半ほどの独房。
24時間カメラで監視されたのは自殺防止のため。
調書はあくまで検察側が想定したストーリーに当てはめながら、それに合う言葉を拾っていくものだった。
「会った記憶はない」と言っても、「会ったことはない」と調書では断定。
ニュアンスも変えられた。
この時点で認められていたのは弁護士との接見のみ。
取り調べは連日夜の10時まで続く。
みんなが寝静まった頃、刑務官に連れられて拘置所の独居房に帰るという毎日。
取り調べが始まって11日目…取調官が別の検事に替わった。
あくる日…検事は厚労省職員数人の供述調書を持ち込んでそれを読み上げていった。
そこには村木から指示されたということが生々しく書かれていた。
検察側が想定したストーリーに当てはめるために、取り調べはどんどん強引になっていく。
弘中弁護士はチームを組んで東京から毎日、大阪まで面会に来て様々なアドバイスをした。
村木はなぜ職員のみんなはそんな嘘をつくのか疑念を抱いていた。
それに対し、弘中弁護士は検事が勝手に作文をしているだけだと答えた。
もちろん全ての検察がそんな事をしている訳ではない。
しかし、この事件に関しては…5年前も前の出来事で誰もが自分の記憶に自信がない中、脅しや嘘を巧みに使い検察に都合のいい調書が作られていったのだ。
連日、夜遅くまで続く取り調べの中で村木を支えたのは…娘たちの存在だった。
将来、娘たちが今の自分のような困難に遭遇したとき、『あの時、お母さんも頑張った。大丈夫、私も頑張れる』と思ってもらいたい。
娘たちの将来のためにここで頑張らないといけないと思った。
そんな中、捜査報告書に気になる箇所が!
それは、あの係長の自宅から押収したフロッピーディスクにあった偽の証明書を保存した日付データをプリントアウトしたものだった。
検察が言っていたのは…2004年6月8日に郵政公社が証明書を提出するように指摘されたので凛の会が村木に証明書を作ってくれと依頼した。
そして、6月10日に郵政公社に証明書を提出した。
つまり村木の指示なら証明書は6月8日から10日の間に作られていないとおかしい。
しかし、フロッピーの日付は6月1日。
村木が指示したとされる日より1週間も前だったのだ。
遂に見つけた検察側ストーリーの綻び。
やはりこの事件は検察のでっち上げに違いない。
2009年11月…4度目の申請でようやく保釈が決定。
164日に渡る拘留が終わった。
次々に覆されていく検察の筋書き
およそ半年振りの外の世界。
年が明けていよいよ裁判が始まった。検察と村木、全面対決の始まりだった。
そして、弁護側はあのフロッピーの日付の矛盾について追及した。
これをきっかけに検察のねつ造したストーリーは次々と崩れ去っていく。
石井議員から電話を受け、村木に指示を出したとされる部長が、検察側の証人にもかかわらず電話があったことすら否定した上で供述を翻したのだ。
そして、一連のきっかけとなった係長の証人尋問では…。
証明書の偽造は自分の独断でやったと話しているのに、調書ではそうなっていない事を指摘しても聞いてもらえなかったと語った。
この係長も、取り調べで嘘を言ったわけではなかったのだ。
さらに検察のストーリーを根底から覆す証人が遂に登場する。
それは検察の筋書きにも登場していた石井一参議院議員。
検察の筋書きでは、2004年2月25日午後1時に凛の会の会長と会っている…とあったが、石井議員はこれを否認。
石井議員は過去30数年、その日に会った人の名前とその時間・内容を細かく手帳につけていた。
その手帳によると、2004年2月25日は7時56分から古賀一成衆議院議員とゴルフをしていた。となっており、ゴルフ場を出たのが午後4時頃。
それから急いで東京に帰って懇親会に出席していた。
これにより議員会館で凛の会の会長とは会っていないという事が証明された。
こうして2010年9月、無罪判決が言い渡された。
大阪地裁は検察側のストーリーの大半を否定。
逮捕から454日目のことだった。
しかし都合のいい調書を取った検事たちは罪に問われることはなかった。
ただ、特捜部の主任検事が問題のフロッピーディスクの日付を6月1日から6月8日に書き換えたことがバレたことで証拠隠滅の罪で逮捕された。
さらに当時、大阪地検特捜部のトップだった部長、副部長を犯人隠避容疑で逮捕するという検察史上類をみない不祥事にまで発展した。
無実でありながら逮捕されたキャリア官僚、村木厚子さん。
厚労省を退官した後、仰天ニュースにコメントを寄せてくれた。
「警察官や検察官による密室での取り調べは大きな問題を抱えています。功名心からだけではなく、『犯人を突き止めたい』『自白を取って証拠を固めたい』という職業的な使命感の強さが無理な取り調べを生み、無実の人を嘘の「自白」に追い込んでいます。できる限り早く、すべての事件で録音・録画が行われ、無理な取り調べによる冤罪がなくなることを心から願っています。」