科学で解明!! (秘)
忠臣蔵
第911回 2007年12月9日
元禄15年12月14日未明。江戸で、大石内蔵助率いる赤穂浪士達の吉良邸討ち入りという歴史的な事件が勃発。この事件が300年以上たった今でも映画や本で語り継がれている「
忠臣蔵
」です。今回は年末の風物詩、忠臣蔵を科学で読み解き、そこに秘められた謎に迫ります。
赤穂浪士達が討ち入りを決行したのは元禄15年の12月14日とありますが、なぜこの日だったのでしょうか?
大学教授の話によると、この日は、吉良家に知られずに討ち入りできる絶好の天気だったと言います。そこで資料から、討ち入り当時の天候を再現してみると、13日の天気は江戸一帯を雲が覆い天気は雪でしたが14日になると快晴になっていました。
14日は前日の雪が積もった晴れの日
だったのです。しかし、
なぜ雪が討ち入りに絶好の天気なのでしょうか?
実は、赤穂浪士が最も恐れたのは事前に知られて誰かが吉良家に通報してしまうこと。
雪が積もっていれば周囲の人に気付かれにくいというのですが、これは本当でしょうか?
そこで実験です。実際に
47人の集団で歩いてみて、雪がある場合と無い場合とでどちらが気付かれにくいか比較
します。判定するのは、町人役の3人です。47人が離れたところから近付き、どの地点で足音に気付くか調べます。町人の後ろにはカベ代わりに幕を設置。また、討ち入りが行われた夜明け前を想定し、就寝中と同じ聴力にするために耳栓を装着してもらい、足音が聞こえた時点でボタンを押してもらいます。一人でも気付けば終了です。まずは
雪がない場合
でいざ、実験開始。すると歩数にしてわずか4歩で気付かれてしまい、町人役との距離を測ってみると8m30cm。騒音計で気付かれた場所を測ると
57db
で、賑やかなレストランとほぼ同じうるささでした。続いて、人口スキー場で地面に
雪がある場合
で実験開始。すると、47人は気付かれないままどんどん進み、列の先頭がすぐ背後の幕に到着したところで町人役はようやく気付きました。騒音計はここまで近付いてやっと
48db
で、図書館の中とほぼ同じ静けさでした。雪がある場合と無い場合ではかなりの差がありました。実は、雪が無いと地面に色々な音が反射して騒音が発生します。一方積もった雪は、その60〜70%が空気層です。
この空気層が音を吸収するので足音や衣擦れの音などが周囲に響かなくなるのです。これを雪の
「静音効果」
といい、雪があると静かに歩くことができるのです。事実、12月14日は47人の浪士たちは誰にも気付かれることなく吉良邸に到着することができたのです。
また他にも、真冬で夜明けが遅いので人目につかず行動でき、この日は吉良上野介が自宅で茶会を開くため必ず家にいることも確認されていて、まさに絶好の討ち入り日だったのです。
赤穂浪士達は、誰にも気付かれないように、足音を吸収してくれる雪が地面に残る12月14日に討ち入りを決行したのだ!
さて、実際に
赤穂浪士が討ち入りに使ったとされる槍と弓
を再現したものがスタジオに登場しました。しかし、一般的な大きさの武具と比べても、槍も弓も
半分ほどの大きさ
です。一見不利に思えますが、
屋内の戦闘では、長い武器だと柱や壁に引っかかってしまうので、短い武器の方が逆に有利に働く
のです。さらに赤穂浪士達は、日本刀などから身を守るために衣服の下に「
鎖帷子
(くさりかたびら)」を着込んでいました。鎖帷子は小さな鎖が服に縫い付けてあるだけの薄い防具ですが、本当に
鎖帷子で日本刀を防ぐことはできるのでしょうか?
そこで抜刀の達人に、鎖帷子と同じ構造の防具を、藁で編んだ人形に着せて、斬って頂きました。「えい!」と刀が当たった部分を見てみるとなんと鎖が一ヶ所切れただけでした。鎖帷子は、
刃との接地面を増やすことで刀の衝撃を上手く吸収する構造
になっていたのです。
ところで、47人中10人が50歳以上と年配者の多い赤穂浪士が、剣客が揃う吉良家の警備隊になぜ太刀打ちできたのでしょう?調べてみると、赤穂浪士達は
「一向二裏(いっこうにうら)」という戦法で戦った
というのです。一向二裏とは、
三人一組で、一人が正面から戦っている隙に、残りの二人が背後に回り込んで攻撃
するという戦法です。しかし、
これで本当に強敵に勝てるのでしょうか?
そこで、戦闘経験が少なく年配者が多かった赤穂浪士役を子供達9人に、剣客集団の吉良側は大人達5人に担当してもらい、スポンジ性の刀で戦うスポーツチャンバラで実際に戦ってもらいます。この9人対5人という人数は、実際に戦った人数47対25人と同じ割合です。ルールは、頭につけた風船を叩き合い、割れたら負けです。吉良側はスポーツチャンバラの元世界チャンピオンがいるほどの強敵です。まずは作戦なしで、試合開始。すると赤穂浪士チームは防戦一方で全員撃沈し、あっさりと惨敗してしまいました。そこで、赤穂浪士の研究家の中島さんが子供たちへ「一向二裏」をしっかりと伝授し、練習もバッチリ行い、再び試合開始です。
すると、
子供に背後に回られた大人はそっちに注意を奪われ次々と風船を割られてしまい、子供達の赤穂浪士チームが見事圧勝
しました。事実、赤穂浪士達は一向二裏を実践し吉良家を圧倒、さらに浪士側の死者はゼロで、全員無事に本懐を遂げることができたのです。さらに赤穂浪士達は吉良邸の120人近くいたという警備が寝泊りしている長屋の戸を閉めて外に出られないようにしたため警備は僅か25人だけだったとも言われています。この討ち入りはまさに赤穂浪士達の作戦勝ちだったと言えるでしょう。
高齢者が多い赤穂浪士達は、一人が正面で戦う隙に残りの2人が背後に回り込んで攻撃する一向二裏という戦法で見事勝利したのだ!