第1500回 2019.11.10 |
古墳時代の生活 の科学 | 物・その他 |
様々な時代の生活を実際に体験してそこに隠された驚きの科学を発見する「目がテン歴史研究会」。今回のテーマは1300年以上前の、古墳時代。
2019年7月、百舌鳥・古市古墳群がユネスコの世界遺産に登録され、注目を浴びましたが、古墳時代は面積では世界一のお墓仁徳天皇陵など、多くの古墳が作られた時代なんです。歴史体験プレゼンターの都丸紗也華さんが古墳時代の女性になって、その生活に挑戦!
今回の目がテン歴史研究会は古墳時代の生活を科学します!
古墳の謎
今回、都丸さんが訪れたのは、和歌山県にある紀伊風土記(ふどき)の丘。国の特別史跡「岩橋千塚古墳群」など、園内には500もの古墳があるんです。古墳時代について教えてくれるのは、古墳時代の文化を研究する、学芸員の金澤舞さん。
古墳時代、3世紀の中頃から7世紀にかけて前方後円墳などの大きな古墳が次々と作られました。古墳とは、当時の権力者の墓。日本全国にあり、大きさや形も様々です。
さらに古墳といえば、埴輪。一番多いのは筒状の形をした円筒埴輪。円筒埴輪は、古墳の周りに大量に並べられていて、古墳が神聖な場所であることを示す役割があったと考えられています。
また、人や馬などの埴輪は、儀式の様子などを表したものと考えられています。古墳時代は文献資料がないので、埴輪からどういう服を着ていたか?どういう家に住んでいたか?どういう動物がいたか?習俗がわかる大切な資料。例えばこちらの埴輪。よく見ると顔に入れ墨が。当時、入れ墨を入れる文化があったことがわかります。埴輪から古墳時代の生活が見えてくるんです。
当時の人々は、近くの窯で埴輪を作り、古墳まで運んでいたと考えられています。そこで、円筒埴輪を都丸さんに運んでもらいます。と、その前に都丸さんは、古墳時代に一般的に着られていたという服装にお着替え。下はズボン。上下が分かれているセパレートタイプ。この服装で埴輪運びにチャレンジ!埴輪の重さはおよそ20キロ。
今回は、当時の運び方にチャレンジしてもらいます。
研究から推測される運び方は、まず埴輪に開いた穴に、縄を通します。そして、ランドセルを背負うように、埴輪を背負って、運んでいたようなんです。
目指すは400メートル先、山の中腹にある古墳。ギブアップ寸前、駆け付けたのはママではなく裕太さん。当時の髪型「みずら」で登場!都丸さんに代わって埴輪を担ぎます。
運ぶこと15分。約1400年前に作られた本物の古墳に着きました。整備して、当時に近い形で埴輪が置いてあります。
これが前方後円墳、2人が立っているところが前方部で後ろの丸い部分が後円部。この後円部には亡くなられた方が収められている石の部屋があり、公園には、貴重な古墳の内部が見られる場所があるんです。
こんもりと緑が生い茂っているのが、1500年以上前の、本物の古墳。この古墳は、遺体が安置されていた石室の中に入ることができる、貴重な場所。
遺体が収められていた、古墳の石室。壁には、細かい石が積み上げられ、上には石の棚や石の梁とされる、横に渡された大きな石が。これが石の部屋を支えていると考えられ、1500年以上経った今も、崩れることなく当時の姿を保っています。
古墳から、当時の人々の暮らしと高い技術力が見えてきたんです。
古墳時代の暮らしとは?
古墳時代の前、弥生時代に伝わった「鉄」。古墳時代、この鉄に関して大きな変化があったと言います。
首都大学東京の山田先生によると、鉄は弥生時代の今から2300年くらい前には日本に入ってきていたといいます。ただ、朝鮮半島から鉄の板で輸入していました。しかし、古墳時代になると自前で鉄を作ることができるように。古墳時代の遺跡から、昭和の鍛冶屋さんが使っていたものとほぼ変わらない鍛冶道具が発見されています。古墳時代には、鉄を自由に加工する技術が発達し、使いやすい形に変えることができたんです。
縄文時代の回では、石の斧を体験している都丸さん。古墳時代の鉄の斧で木を切ってみると、石の斧に比べ、鉄の斧はしっかりと繊維が切れているのがわかります。
古墳時代は、鉄の斧で太い木を切ることができ、木を加工する道具も発達したので、大型の建物が建てられるようになったんです。
そして、当時の家にも大きな変化が。一見、縄文時代の竪穴式住居と大きな違いがないようですが、縄文時代には、住居の真ん中で火を直に燃やし、煙は屋内の上部に抜けていました。一方、古墳時代になると、竪穴式住居の端にかまどが登場。外に煙を出す、空気穴も作られていました。
このかまどの形は、それほど変わることなく昭和まで受け継がれていくんです。
ここで、都丸チャレンジ!都丸さんには、古墳時代、朝鮮半島から伝わった、当時の最新調理器具で米を調理してもらいます。
ルールは、用意した全てのものを使うこと!都丸さんが、ギブアップボタンを押すと先生が助けに来てくれます。それでは、都丸チャレンジスタート。
都丸さん、大きなカメを持ってかまどへ。そしてカメの中に、直接米と水を入れました。道具全部を使えていないので、実はこれは×。正解は、まずカメに大量の水を入れます。そして、お米を布に包み、穴が開いた土器の中へ。二つの土器を重ね合わせ、下からの蒸気で、米を蒸すんです。この蒸し器こそ、古墳時代に伝わった「こしき」という新しい調理器具なんです。
古墳時代に米を蒸した理由
古墳時代の食に詳しい、国学院大学の青木先生によると、蒸したお米を主食にしていたというのは日本列島の食文化の歴史を考える中で大きな謎。
こしきを使っていた理由、先生の考える仮説は、「海の向こうから渡ってくる人々や技術。その中でこしきは最先端の調理器具だったため、一種の憧れを持っていたのではないか」とのこと。
また当時は、色々な種類のお米が作られていたことも理由だと言います。米を種類別に布に包み、こしきに入れ蒸します。取り出すタイミングを変えれば一度に複数の米を蒸すことができたんです。
食生活と眠り方チャレンジ
古墳時代、米以外にどんな物を食べていたのでしょうか。当時の人々が食べていたと考えられる食材が、肉や魚、木の実などです。
アドバイスを受けながらおかず作りに挑戦です!
海に近い和歌山では魚を生で食べていた可能性もあるそう。タイは刺身にします。古墳時代には、船や網を使った漁が発達。クエやカツオなど様々な魚が食べられていたそうです。
タイを捌くのは、刀子(とうす)と呼ばれる鉄製の刃物。縄文時代の時に使ったのは黒曜石のナイフ。それと比べて、刀子はサクサク切れます。皮もなんとか剥がして、タイの刺身の完成。
次は、イノシシの肉。これも刀子で薄切りに。薄く切ったイノシシ肉を、布で包んでこしきの中へいれ、蓋をして蒸し上げました。蒸し料理ができたら、貝と木の実を塩味で煮た汁物も作りました。
こちらが古墳時代の食卓!
イノシシにつけるのは、魚醤と呼ばれる液体の調味料。古墳時代、魚などを塩漬けにして発酵させて魚醤が作られるようになったといわれています。
最後に、様々な時代で挑戦し、一度も成功していない眠り方チャレンジ!果たして今回は眠れるのか?古墳時代の庶民は、藁でできたむしろをしき、麻などの布をかけて寝ていたと考えられています。
チャレンジスタート!スタートから10分後、都丸さんが動かなくなりました。その後も動く気配はありません。ついに寝たんでしょうか?!
スタッフが確認しに行くと、古墳時代でついに眠ることができました!都丸さん、ついに眠り方チャレンジ初成功です。