第1649回 2022.11.06 |
吉野ヶ里遺跡 の科学 | 物・その他 |
日本最大規模を誇る、弥生時代の遺跡、佐賀県「吉野ヶ里遺跡」で、10年ぶりの大規模調査が行われているんです。それは、これまで神社があったことから一度も発掘調査が行われてこなかった“ミステリーゾーン”。そんな前代未聞の発掘調査に今回なんと3日間の密着が許されました!歴史的調査を取材するのは、杉原アナウンサーと黒田アナウンサー。
時代を超え…土の中から見つかったものとは!?
今回は、吉野ヶ里遺跡・謎エリアの発掘調査に密着します!
吉野ヶ里遺跡ってどんな遺跡?
吉野ヶ里遺跡へと向かった杉原アナウンサー。迎えてくれたのは、考古学者の高島忠平さん。60年以上吉野ヶ里遺跡の研究を続けています。
国の特別史跡に指定されている吉野ヶ里遺跡。
広大な敷地には、発掘から分かった弥生時代の様子が再現されています。
中でも、吉野ヶ里遺跡の象徴とも言える場所があるそう。それが、1986年の発掘調査で発見された環壕と呼ばれる「堀」。深いところでは3.5mもあり、集落全体を取り囲むように、およそ2.5kmも続いています。
この堀、一体どんな役割があるのでしょうか?高島さんによると、弥生時代は戦いの時代。素朴な農村的なムラから、政治性を持ったクニに発展していく様子がみられるといいます。
さらに、巫女が霊への祈りや祀りを行う、主祭殿。弥生時代、最大級の建物です。発掘された柱の「穴の深さ」や「配置」などを元に、考古学や建築学など、さまざまな分野の専門家の考察により弥生時代の建物を復元しているんです。
長年の地道な発掘により2000年前の生活や文化が現代に蘇ってきたのです。
一方で、調査の手が入っていないのが元々、神社があったポイント。
一角だけ木が鬱蒼と生い茂る、吉野ヶ里遺跡、最大の“謎エリア”です。高島さんは、王の墓が発見されるのではないか?と考えているそう。実は、謎エリアのすぐそばにある墳丘から、弥生時代中期までの歴代の王の墓が複数発見されているんです。
発掘当初の様子は、現在も保存展示されています。中には、甕棺と呼ばれるものが。甕棺とは、素焼きの大きな土器でできた棺で、主に九州北部で発見されています。弥生時代の中期、200年の間に多く見られ、人々は穴をほり巨大な甕棺に遺体を入れて、土の中に埋葬していました。
この時代、他の地域では遺体を直接土の中に埋める土こう墓や、木の棺に入れる木棺墓が一般的ですが、2000年の時を経て、人骨などがなくなってしまうことがほとんど。しかし吉野ヶ里遺跡では、甕棺のおかげで、骨だけでなく髪の毛まで発見されているのです。これら歴史的証拠から、顔の系統やルーツさらには髪型などが明らかになりました。
歴代の王の墓も、一般の人と同じく甕棺。身分を象徴する銅剣やガラス製の管玉が見つかっています。見つかった王の墓は全部で14つ。弥生時代中期のおよそ200年の間にこの地を治めた、歴代の王たちの墓です。
しかし、弥生時代中期の墓を最後に、これ以降、後期の王の墓が、いまだに見つかっていないのです。弥生時代は卑弥呼が治めた邪馬台国の時代でもあり、謎エリアで後期のものが発見されることが期待されています。
発掘調査とはどのように行うのか?
いよいよ、発掘現場に向かいます。迎えてくれたのは、発掘調査を指揮する佐賀県の文化財保護室の塩見さん。今回の調査現場である謎エリアへ案内してもらいます。
これまで神社があったことから、一切の発掘調査が行われてこなかった“謎エリア”。今回の発掘調査は、調査員3人、実際に発掘を行う作業員10人ほどで2年かけて行うそうです。
この日は土を少しずつ削っていく作業が行われていました。表面の土を少しずつ下げていくと、色の違う場所がみられます。これが、遺構と呼ばれるもの。遺構とは、過去の時代の人々によって掘られた「構造物」の痕跡。周りの土との“色や質の違い”で判断され、この微妙な違いから、弥生時代の痕跡を見つけているのです。
塩見さん指導の元、今回は特別に調査に参加させていただきます。
すると塩見さん、何やら円の半分に印をつけました。半分に掘ることで、穴中心部の断面の形を確認でき、遺構をすべて壊さずに全体像を把握することができるんです。
細かい作業は、アイスの棒のような竹のヘラで掘り進めます。土器を傷つけないよう、周りの土を慎重に掘っていきます。細かい土器も取り去り、ここからは本格的に穴を掘っていきます。ポイントは、“微妙な土の違い”。土の色を頼りに、昔の人が開けた穴とほぼ同じカタチに掘っていきます。その後、2時間慎重に掘り進め、深さ、25cmの丸い穴が。近くにも同じような遺構があることから、建物などの柱の穴の可能性もあるそうです。
続いて、先ほどとは異なる、細長い大きな楕円形の遺構を掘らせてもらいます。遺構の形から甕棺が出てくる可能性がかなり高いそうです。土器などの遺物に気をつけながら、シャベルを使ってザクザクと全体的に掘り下げます。
杉原アナウンサー掘り続けますが、ここでタイムアップ。そして、翌日。杉原アナウンサーに代わり黒田アナウンサーが発掘調査に参加しました。
どんどん掘り進め、穴の深さはついに65センチに到達!すると、甕棺が見つかる前に、穴の底に到達。残念、甕棺墓ではなく、土坑と呼ばれる当時の人が何かを埋めた穴ということがわかりました。
謎エリアでついに甕棺を発見!?
甕棺に出会えず意気消沈していると、別の発掘現場から、塩見さんを呼ぶ声が。そのあとを追いかけます。なんと、円形状の遺構、出ている土器の破片から、甕棺ということが判明。
さっそく竹のヘラで慎重に土器の周りを掘り進めます。
この甕棺は、ほぼ同じ大きさの2つの土器を合あわせるタイプ。出てきたのは分厚い土器の口の部分。掘り進めると、その厚さは5cmということがわかりました。割れてしまっていますが、甕棺の全体が見えてきました。
そして、甕棺の発見から1週間後。再び謎エリアをスタッフが訪ねました。現時点では、片方の甕棺の胴部は60cm 高さ95cmの可能性があることがわかったといいます。
さらに、金属探知機で剣や鏡など金属製の副葬品がないか確認。破損が激しいことから、内部に骨などが残っていないと判断。記録に残し、ここで調査は終了となります。
今後、土を掘らなくても地上から分析できる技術が発達するかもしれません。更なる調査は、未来の技術に託すことになりました。
さらに、この1週間で新たな発見があったといいます。大人用の綺麗な状態の甕棺が発掘されました。
甕の中の調査はこれから。丁寧に土をさらっていけば、人骨とか副葬品も見つかってくるかもしれないといいます。
そして、黒田アナウンサーと杉原アナウンサーが掘った“楕円形の大きな穴”。甕棺は出ませんでしたが、その後の調査で大発見があったんです。
実は、この穴から弥生時代後期の土器片が出てきたんです。これまで謎エリアでは、弥生時代中期の遺構は見つかっていますが、後期のものが見つかったのはこれが初めて。これにより、今後、新たな王の墓や、邪馬台国の手がかりが見つかる可能性があるということなんです!
これから2年かけて行われる謎エリアの調査。新たな発見を期待しています!