2015.9.19sat-12.13sun
東京都美術館 休室日:月曜日、10月13日(火)、11月24日(火) ただし9月21日、10月12日、11月2日、11月23日(いずれも月)は開室
クロード・モネ(1840-1926)は、生前に成功した画家で、晩年のものを中心に多くの作品を最期まで手元に残しました。これらは息子のミシェルが相続しましたが、その後、ミシェルの遺志でマルモッタン美術館に遺贈されました。その数およそ150点。モネが晩年に何度も取り組んだ「睡蓮」や「日本の橋」だけでなく、10代後半で描いたカリカチュア(風刺画)や30代から40代の風景画も含まれ、モネの画業を辿ることができる画家本人によるプライベート・コレクションです。この特別な作品群を譲り受け、マルモッタン美術館は、「マルモッタン・モネ美術館」と名称を変えました。
本展では、このモネ・コレクションから選りすぐりの約90点を展示。うち約7割がモネ自身の手によるもので、ほかにはモネ自身が収集した作品やモネ愛用の品をご紹介します。マルモッタン・モネ美術館だからこそ実現できた“究極のモネ展”、どうぞご期待ください。
マルモッタン・モネ美術館でもっとも知られているのは《印象、日の出》でしょう。「印象派」という言葉の由来となった歴史的作品で、ジョルジュ・ド・ベリオが所蔵していたものです。ド・ベリオ氏はモネをはじめとする印象派の画家も診ていた医師で、初期の印象派を評価した数少ない収集家の一人。そのコレクションは1940年にマルモッタン美術館に寄贈されました。
本展には、このド・ベリオ・コレクションから、《印象、日の出》、《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》、《テュイルリー公園》、《雪の効果、日没》の4点が特別出展されます※。《印象、日の出》は、東京では21年ぶりの公開。今でこそ印象派のもっとも有名な作品のひとつですが、20世紀半ばまでは《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》、《テュイルリー公園》の方が高い評価を得ていました。
ド・ベリオ・コレクションは、マルモッタン・モネ美術館の中核をなす作品群で、滅多に貸し出されることはありません。本展はこれらを間近にご覧いただける貴重な機会となります。
※各会場により展示作品が異なります。
《印象、日の出》東京展 9月19日(土)~10月18日(日)展示
《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》東京展 10月20日(火)~12月13日(日)展示
《テュイルリー公園》は東京展 展示なし
《雪の効果、日没》東京展 全期間展示
印象派の名前の由来となった《印象、日の出》。モネが幼い頃過ごしたフランス北西部の町、ル・アーヴルの港に日が昇る様子を描いたものですが、制作年などを巡り議論を呼んでいました。
作品には「Claude Monet.72」と自筆のサインがありますが、モネが1872年にル・アーヴルを訪れた記録はなく、実際には1873年に描かれたとの見方が大勢を占めていました。一時は、「日の出」ではなく、「日の入り」ではないかとさえ言われたこともありました。
議論に決着をつけようと、マルモッタン・モネ美術館では2014年、アメリカ・テキサス州立大学の天文学者ドナルド・W・オルセン氏らとともに作品が描かれた日時の調査を行いました。
19世紀に撮影された写真や地図をもとに、モネが作品を描いた場所を特定。さらに作品から太陽の位置や潮位を調べ、当時の気象の記録から天気や風向きが一致するのは1872年11月13日、もしくは1873年1月25日だと導き出しました。その上で作品に「72」と書かれていることや美術史家の分析を踏まえ、作品が描かれたのは1872年11月13日7時35分頃の可能性が高いと発表しました。
本展ではマルモッタン・モネ美術館の見解に沿い、制作年を1872年としています。
1912年、72歳になったモネは右目に違和感を覚えます。白内障を患っていたのです。少しずつ目に映る色も描く色彩も変化していきます。失明を恐れて手術を拒否していたため症状は悪化し、1915年には、「赤が泥のような色に見える」と話しています。1922年になると、右目は光しか認識できない状態となり、左目も読み書きが難しい状態にまで悪化、ついに手術を決意します。
本展では、モネが白内障を患い始めた1912年以降に描かれた作品も多く出展されます。悪化する白内障のためか、モティーフは少しずつ輪郭を失い、色調は鮮やかで大胆なものへと大きく変化していきます。その力強い筆遣いからは、色感を失う恐怖を抱えつつも、衰えることがなかった絵画制作への情熱が伝わってきます。
さらに、本展ではモネが晩年使っていた黄色のメガネが展示されます。ある眼科医は「白内障の手術後、世界が極端に青みがかって見えるのを嫌って黄色いレンズを使用した可能性が高い」と指摘しています。