2015.9.19sat-12.13sun
東京都美術館 休室日:月曜日、10月13日(火)、11月24日(火) ただし9月21日、10月12日、11月2日、11月23日(いずれも月)は開室
ジョルジュ・ド・ベリオ(1828-1894)は、ボッティチェリやフラゴナールのほか、19世紀のドラクロワ、バルビゾン派の作品も収集していましたが、彼の名を収集家として著名なものとしたのは、まだ評価の定まらない初期の印象派の作品を積極的に評価した点にあります。彼はモネら、印象派の画家たちの友人であり医師で、ときには経済的な支援のために彼らの作品を購入していました。1877年に《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》を300フラン、1878年の競売で、《印象、日の出》を210フランで入手します。その後も、モネだけでなくルノワールやピサロらの作品を収集し、印象派コレクションを充実させていきました。彼の死後、作品を相続した娘ヴィクトリーヌは、1940年、このうち11点をマルモッタン・モネ美術館に寄贈します。これらの作品は、同館の印象派コレクションの基礎となりました。
早朝のル・アーヴルの港に昇る太陽と、朝もやの中でその光で染められる空と海。前景には小舟が浮かび、後景には高いマストをもつ大型の船が表されています。船や人物は素早い筆触で曖昧に描かれています。モネが描きたかったのは、港の湿気を含んだ空気や昇り始めた太陽の光といった、留めておくことが難しい印象そのものだったのでしょう。しかし、このような筆触が残る画面は、未完成の作品とさえ受け取られる時代でした。本作品は、1874年「画家、彫刻家、版画家等による共同出資会社」による第1回展覧会で展示されます。この展覧会に対して批評家ルイ・ルロワが4月25日の「ル・シャリヴァリ」に発表した「印象派の展覧会」という評論をきっかけに、モネら新しい表現の画家たちは「印象派」と名付けられ、この展覧会はのちに第1回印象派展と呼ばれるようになりました。
サン=ラザール駅は、セーヌ川沿いのパリ近郊の町やノルマンディーの海岸に向かう汽車の発着駅で、当時のフランスでもっとも多くの人が利用していました。モネが5歳から18歳までを過ごしたル・アーヴルや当時住んでいたアルジャントゥイユもこの路線上にあり、彼もよくこの駅を利用していました。
モネは駅の近くに小さな部屋を借り、鉄骨にガラス屋根の近代的な駅舎や、勢いよく蒸気に包まれる線路や汽車など、多様な姿を見せるサン=ラザール駅を何度も描きました。ルノワールによると、モネは制作のために、一番いい服を着て駅長に面会し許可をとり、汽車を止め、ホームの人々を立ち退かせ、描きたい蒸気のために大量の石炭を汽車に詰め込ませたそうです。本作品では、汽車はほんの少し頭をのぞかせるだけで、その近くの人物も粗い筆触で描かれています。モネは、近代的な駅舎でも汽車でもなく、立ち上る蒸気と目に見えない匂いや熱気、駅の雰囲気を画面に定着させました。