新宿DASH ~120年前に生まれた元祖国産イチゴ~
7月7日(日)放送の『新宿DASH』では、新たな命の誕生と、120年前に新宿で生まれた国産イチゴ第1号の屋上での栽培がスタート!
梅雨の晴れ間、真夏日となった6月中旬。屋上のDASHハート池で見つけたのは、イチョウウキゴケ。
国の準絶滅危惧種で、唯一水に浮かんで生活するコケ。どうやら、ハート池を作る際に同じ東京の青梅から持ってきた土の中に、その胞子が紛れ込んでいたらしい。キレイな水にしか棲めないというこのコケが育った理由は、水をキレイにしながら酸素を増やす循環システムのおかげ。
「(イチョウウキゴケが繁殖すれば)日陰を作ってくれんですよね。大事な植物だ」と太一。
さらに、その隣の小さなハート池の底には、以前から生えている水草の仲間のシャジクモ。
その中に潜んでいたのは、体長約1㎝の、まるでウーパールーパーみたいな愛くるしい姿。その正体は、なんとイモリの赤ちゃん!「って言う事は、カップル成立ですよね?」と嬉しそうな太一。
そのカップルとは、ハート池で見つけた、メスのイモリのみゆきと、オスのイモリのタモさんの事。ハート池最初の住人で、その恋の様子をずっと見守って来た。最初は、タモさんのアピールに振り向く事がなかったみゆきだったが、次第にその距離を縮め、晴れてカップルに。
産み出された2匹の愛の結晶の卵は、2週間程かけて、徐々に姿を変えて、ハッチアウト(ふ化)。
そこから、さらに2週間かけて足が出揃う。ちなみに、ウーパールーパーのようなトゲトゲは、水中の酸素をこしとって呼吸するためのエラ。大人になると、エラがなくなり、肺呼吸ができるようになる。
つまり、「池の水を循環して酸素を増やすことで、イモリの繁殖をお手伝いできたってことだよね」と太一。
さらに、このハート池の水を循環するための風車の横では、3か月かけて育てていたものが…。
それは、17年前の福島DASH村でも作り、『出張DASH村』で全国の農家さんのお手伝いをしながらも食べ歩いたイチゴ。そして、何より、イチゴ大好きな長瀬がどうしても作りたかった幻のイチゴ。
120年前の明治時代に生まれたイチゴの原点が、同じ新宿区内のベース基地からわずか3kmの所にある、環境省が管轄する新宿御苑に。管理事務所所長の櫻井さんに案内されたのは、国内外の約2700種類の植物を保全するための栽培温室。実は新宿御苑、今から150年前の明治初期には皇室のための「御料農場」とも呼ばれ天皇陛下や国内外のVIPをもてなすために園芸植物をはじめ、野菜や果物の栽培や品種改良もしていた場所。
そして、ここにある、お目当てのメイドイン新宿のイチゴが「福羽いちご」。
このイチゴが産まれたのは、明治中頃。様々な品種改良をおこなった農学博士の福羽逸人がフランスから取り寄せたイチゴをベースに7年以上の歳月をかけ生み出した、正真正銘、日本初の国産イチゴ。
皇室や国内外のVIPしか食べられなかった事から、別名「御料イチゴ」とも呼ばれ、昭和天皇やイギリスの国王が味わったとも。昭和に入ると全国各地に出回り、そこから栃木の名産「とちおとめ」や福岡の「あまおう」など数々のイチゴが誕生した。この福羽イチゴ自体は現在市場には出回らず、環境省がその遺伝子を守り続けている。わずか50株のその希少な苗の内、10株分けて頂くことができた。
「福羽精神にのっとって我々も」と、同じ新宿区内、TOKIOのベース基地で増やしたい。
91%が水分であるイチゴの栽培には、水を欠かすことができない。そのため、育てる場所はハート池の水を循環させるために設置した風車のすぐ隣で。
池づくりの土台にも使った発砲スチロールをプランター代わりにし、その中に、保水力抜群の新宿の材木店で頂いた杉皮と捨てちゃうガラス瓶で作った軽石を敷き詰め、さらに水分の蒸発を防いでくれるマルチシートをかぶせる。そこに、分けて頂いた希少な120年前の元祖国産イチゴ10株を植える。
そこに撒く水は風車から。この日は風がないので、自転車の後輪を人力で回し、水をくみ上げる。
この水には、池の生き物達のフンやヤゴの抜け殻など、様々な栄養分が豊富に含まれるので、イチゴの成長にも良い。「すごいな。この池の循環システムで、イチゴに自動で水と肥料が撒ける。これはいいシステムだ」
こうして苗を植えて1か月。循環した水ですくすくと成長したイチゴに花が咲いた。
そして、その花が散り、「ガク」と呼ばれる部分が閉じ、そこにイチゴができる。
風が無い日は風車は機能しない。そこで、TOKIOとスタッフ交代で自転車の後輪を回し続け、イチゴに水を撒き続けた。そして、6月中旬、およそ120年前に新宿で誕生し、昭和天皇やイギリスの国王も味わったとされる、元祖国産イチゴが実った。「原種に近いから、形がいびつなんだね」と太一が言うように、実ったイチゴは丸かったり、細長かったり。でも、それこそがほとんど品種改良されていない証。しかし、実っていたのはこの一個だけ。
食べるのはもちろん、イチゴ大好きの長瀬。「新宿御苑生まれの福羽いちご、代表して頂きます」
一口かじると、思わず笑みが…。「酸味が良い。イチゴのルーツを感じる」と長瀬が絶賛。
イチゴについて熱弁する長瀬をニヤニヤして見ている太一、その訳は…「実はもう食べてる。5個くらい」
そう、実は遡る事1週間前、様子を見に来た太一と川上先生が、一足先に完熟を頂いていた。
今年は、長瀬1個しか食べられなかったが、ランナー(つる)の成長は驚異的だった。親株から子株に続くランナー(つる)。うまく根付かせられれば、一株から4つ以上の子ども達をつくることができる。
このまま順調に育てる事ができれば、120年前の元祖国産イチゴを、再び新宿名物にできる可能性が…!