ある意味我々は非常に貧乏性なんですね。
立派な想像力とは言わないけど、出来上がりを想像して絵コンテやレイアウトを作り上げないと、非常に無駄が出る可能性がある。
そういうことにならないように、事前設計を十分やった上で仕事をする。
そのときに、僕にとっては非常に強力な協力者が必要だったわけで、それに恵まれていたと思います。
宮崎駿という優れたタレントがいるということが前提だったわけで、“レイアウト”というものをもともと「システム」として考えていたわけじゃないんです。
宮崎駿と出会ったことが僕にとって、非常に大きかったし、おそらく、彼にとっても大きかったでしょう。
僕から学んだのではなく、一緒にした仕事の中から学んだものがいっぱいあったに違いないと思う。
宮崎駿が今、世界的になっているわけは、画を描くことだけが得意ということではなく、同じレイアウトでもすでに演出的な側面を持っていたことだと思うんです。
(レイアウトは、一枚の画としてみると歪んで見えるかもしれない。しかし、)
アニメーションでは、嘘をつかなくちゃいけないわけです。
我々は、どうやって、一枚の画、平面で、視覚の変化を、いかに実際に近いように感じさせるかというところなんです。
僕は、アニメーション制作において、どうやったら見る人たちにおもしろく見せられるかっていうのを40何年間もやってきたけど、どうやったら正しいかってことはないんです。
描いている世界はレンズで見た世界ではなくて、人間の肉眼で見た世界です。
肉眼で見える世界とは、気になったものは大きく見えるけど、気にならないものはどこかで忘れてしまう。
そういうもんです。
そういう風にして風景を切り取って描けば
自分たちがどこか見覚えのある世界ができてくるんです。
僕のレイアウトが建築家が描くパースペクティブに合っているかって言ったら合ってません。
パース線を引いて描くと画はつまらなくなります。
アニメーション映画というものは、“あやかし”。
どうやってあやかされるかが楽しみなんです、見ている方も。