第1404回 2017.12.10 |
弥生時代 の科学 | 物・その他 |
さまざまな時代の生活を実際に体験してそこに隠された科学を見つけ出す。それが、「目がテン!歴史研究会」。第4弾となる今回は…「弥生時代の生活」!
今回も、歴史体験プレゼンターの都丸紗也華さんが弥生時代の生活に挑戦します!
弥生時代の「青銅鏡」ピカピカの鏡になる?
弥生時代の暮らしとはどんなものだったのか?訪れたのは佐賀県にある「吉野ヶ里歴史公園」。今回、弥生時代の生活について研究している、国立歴史民俗博物館・藤尾慎一郎教授が待っていてくれました。弥生時代には大人と下戸という上流・下流の身分差が生まれました。その差は例えば…。上流階級である「大人」の服装は、当時、すでにカイコを飼う技術があり、絹で作られていました。さらに貝から染料を作り、服を染めていたんです。
一方、こちらが下流階級の「下戸」の服装。麻の布に、頭を通す穴を開けた “貫頭衣”と呼ばれる服です。
都丸さんには、動きやすそうな下戸の服装で当時の生活にチャレンジしてもらいます。続いて、弥生時代の家へ。弥生時代は、まだ縄文時代と変わらない竪穴住居。しかし、ムラの周りには縄文時代にはなかった柵が張り巡らされていました。平和だった縄文時代とは違い、他の集落との戦争が起きていたようで、村の周りには、侵入を防ぐための様々な仕掛けが作られるようになったそうです。
さらにもう1つ、弥生時代の特徴といえば…金属器。発掘された弥生時代の剣。青銅と呼ばれる、銅とスズを混ぜた合金でできています。藤尾先生が見せてくれたのは「鏡」。弥生時代の青銅鏡を再現している博物館で作り方を見せてもらいました。砂で作った鋳型に、高温で溶かした青銅を流し込み、冷めたところで鋳型を取り外すと青銅鏡の形になりますが、表面はザラザラです。一説にはこれが錆びて青くなるので、青銅と呼ばれたそうです。弥生時代には、これを砥石で数十日かけて磨き、鏡のようにツルツルにしていたそうですが、今回は時間短縮のため電動ヤスリを使って表面を磨きました。表面がツルツルになってきましたが、まだ顔は映りません。
弥生時代の人たちは、顔が映るピカピカの鏡にするために、さらに炭と油で表面を磨いていたと言います。磨き方は簡単。油を磨きたい面に指でつけて、あとは炭でこするだけ。
藤尾先生によると、この作業は朝から晩までやって2~3日かかるそうですが、青銅が本当に鏡のようにピカピカになるのか見てみたい現代っ子の都丸さんは…時間短縮のため、現代の研磨剤を使って磨いてみました。すると…まさに鏡!顔が映っています!
青銅鏡は、本当に鏡として使うことができたのだ!
古代米の脱穀に挑戦!
弥生時代の稲刈りを体験するために都丸さんが訪れたのは…収穫祭直前の「かがくの里」。まずは都丸さん、かがくの里専任プレゼンターの阿部さんに里を案内してもらいました。実は、かがくの里では「うるち米」の他に弥生時代から食べられていたという古代米「紫黒米」を育てていたんです。
籾を外して見ると…真っ黒。この紫黒米を、弥生時代の人たちはどうやって収穫していたのでしょうか?用意したのは、弥生時代の暮らしに使われていた道具。都丸さんには、この中から紫黒米の収穫に使っていた道具を見つけ出し、実際に稲刈りをしてもらいます。それでは、チャレンジスタート!都丸さんがまず手に取ったのは…水田で履く「田下駄」。足が沈まないような形になっています。次に手にしたのは…祭り事に使われていた青銅剣。間違いですが、確かに稲が切れそう。その後、色々とチェックし最終的に決めたのは…薄い石。これで試しに稲を刈ってみると…たしかに切れました。そう、正解はこの石包丁。
都丸さん、歴史研究会始まって以来、初の正解!でも、ちょっと残念!実は使い方が違うんです。まず、横に開いてる穴に通した麻のヒモに指を通して持ちます。刃のように研がれている面を穂のすぐ下に当てて、手首を返すだけで簡単に稲穂を摘み取ることができる道具です。
実際に、同じ形の石包丁が弥生時代の遺跡からいくつも出土しているんです。
ここで疑問。なぜ現代のように根元からまとめて刈らずに、1本ずつ穂を摘み取っていたのでしょうか? これについて藤尾先生は「弥生時代の稲というのは、そこまで改良が進んでいないので、どうしても(成長の)個体差が激しい。(現代のように)同時に熟したりしないので、根刈りしてしまうと熟してないものまで一緒にとってしまうことになるので、熟しているものから摘み取っていった方が、結局は効率がいい」と解説。その後、阿部さんにも手伝ってもらい稲穂を摘むこと1時間。十分な量の紫黒米を収穫することができました!
続いて、収穫した紫黒米を、当時の道具を使って脱穀してみましょう。吉野ヶ里歴史公園の牟田孝行さんに教えてもらいました。まず、稲穂をそのまま臼の中に入れ、杵で突いたり、擦ったりしながら籾殻を外していきます。ある程度、籾殻が外れたら、大きなチリトリのような形の「箕」という道具に移します。これをどうするかというと…何度も箕の中で米をはねさせて、風の力を利用し、軽い籾殻だけを飛ばして行きます。これを何度も繰り返すことで、中に脱穀されて、重い米だけが残っていくんです。そこで、都丸さんも弥生時代の脱穀に挑戦!脱穀すること2時間…約4合分の紫黒米を脱穀することができました。
弥生時代の料理を再現!
弥生時代の食卓を再現してみましょう。用意したのは、弥生時代の調理に使われていた道具の数々。食材は、収穫した紫黒米をはじめ、弥生時代に食べられていたものを再現しました。都丸さん、弥生時代の食卓を再現できるのか?料理にチャレンジ。それでは、チャレンジスタート!まずは都丸さん、中くらいの甕にお米と、水を入れました。偶然かもしれませんが、ここまでは正解です。弥生土器の中で、お米を炊くときなどに使われた甕は、熱効率がよくなるよう、底に向かって尖っています。
そのため、「支脚」と呼ばれる、火との距離を保ちながら甕を安定させる五徳のような道具もあったんですよ。
都丸さん、支脚に甕を乗せることができるのでしょうか?しかし…火になかなか近づくことができず、結局、お米を炊くのを断念。お米は放っておいて、おかず作りに挑戦。手にしたのはイイダコ。驚いたことに弥生時代には、現代と同じようなタコ壺漁が行われていたそうです。そのイイダコを「刀子」という鉄のナイフで切りさらに、鮎もさばきましたが、どうやって調理していいかわからず…ここで、ギブアップ!そこで、吉野ヶ里歴史公園の大沢百合子さんに弥生時代の料理作りを教えてもらいました。まずお米は、現代と同じように水で研ぎます。脱穀しただけの玄米の状態なので、白米よりも多めに水を入れて、火にかけるのがポイント。一時間ほど炊いた後…一旦、甕を外し30分ほど蒸らします。フタを開けてみると…インパクト十分な紫黒米。味が気になります。
おかずには、鮎と、イノシシを直火で串焼きに。さらに、魚介や野菜も甕で煮ていきます。当時の味付けは塩が基本だったそうです。そしてついに、弥生時代の食卓が完成!かなり豪華な料理が並びました。
さっそく、気になる紫黒米をいただくと、都丸さん大絶賛!続いて、イイダコもいただきました。このように、弥生時代の人々は美味しいものを食べていたんです。そこで、目がテンおなじみ、調理科学の露久保美夏助教にに分析してもらいました。露久保先生は、「弥生時代の特徴はお米の栽培。黒米と呼ばれるご飯は色素の部分にポリフェノール類を含んでいるため、それを摂取すると、活性酸素の除去に効果的など、健康効果期待できるものではある」と解説。
弥生時代の夜もふけ、恒例、弥生時代の眠り方に挑戦です!弥生時代の竪穴住居には「ベッド状遺構」という段差があり、その上にムシロを敷くことで、地面からの冷気を避けて寝ていたと考えられています。縄文時代よりも格段に寝やすくなった寝床で…都丸さんは、今度こそ眠ることができるのか?しかし、ムシロだけでは寒いようで、体に巻きつけています。そして…またしてもあっという間にギブアップ!
都丸さんが、眠れる時代は本当にやってくるのでしょうか?