放送内容

第1596回
2021.10.17
れんが建築 の科学 場所・建物

 日本では、明治時代以降に多く建てられた、「れんが」建築。今使われているれんがの起源は、およそ5500年前、メソポタミアで造られたと言われています。それ以来、れんがは世界中に広がり、世界最大の建築物でもある、あの万里の長城にもれんがが使われているんです。そんなれんが建築は、日本にも様々なものが残っており、今なお人々に愛されています。
 そこで今回は、れんがの魅力を深掘り!驚きの耐久性!古代遺跡のれんがとは!?専門家と巡る東京れんが建築!れんがの積み方って何!?さらに、横浜赤れんが倉庫の修繕工事では、歴史的建築物ならではの驚きの工夫が!これを見れば、れんが建築の楽しみ方が分かる!「今も昔も愛される!れんが建築の科学」です!

れんがって何?

 れんがの秘密を探るため、向かったのは、70年以上れんがを製造している「国代耐火工業所」。迎えてくれたのは、業界歴35年の梁さん。
 そもそもれんがとは粘土、つまり土を焼いたもの。茶碗や湯のみなどと同じ「焼き物」なんです。日本では、明治時代の文明開化に伴い、れんがを積み上げた「れんが造」の建築物が多く作られましたが、大正12年の関東大震災で多くのれんが建築が崩壊。れんがだけで建物を支える構造としての使用は、地震に弱いということで、原則禁止になってしまいます。それ以降は、耐震性の高い鉄筋コンクリート造などの建築物に取って代わられたため、現存するれんがの建築物はとても貴重なんです。そんなれんがの人気は未だ根強く、壁に貼り付ける仕上げ材や、装飾などに使われているんです。そして、れんがの製造には焼き物ならではの難しさがあるそう。
 一般的なれんがの作り方を見てみます。れんがの原料は、粘土や砂。これを粉砕し、水分量などが均等になるように混ぜ合わせます。
 続いて、混ぜた材料を真空で圧縮、ところてんのように押し出し、規定のサイズに切断します。そして、乾燥室で、7日〜8日ほど乾燥。その後、窯でおよそ35時間かけてじっくり焼いていきます。最高温度はおよそ1150℃。急激な温度変化で割れたり欠けたりしないように、ゆっくり温度を上げ、ゆっくり下げるんです。
 そして、焼くときに起こるのが「焼結」という現象。加熱することで原料の粒子同士が融合し、粒子間の隙間が小さくなって焼き固まり、強度が増すのですが、その分れんが全体の大きさも小さくなるんです。加熱過程で大きさが変わること、割れや欠けなどの破損。れんがは、それらを考慮して作られているんです。

 時間をかけて丁寧に作られるれんが。その魅力は、れんがならではの質感や温かみ。それらが求められ、れんがは今でも様々なところに使われているんです。
 そして、最後に梁さんが見せてくれたのが、なんと、3000年以上前のれんが!3900年から4500年前に繁栄した、インダス文明最大の都市遺跡モエンジョ=ダーロの中のれんがの一つ。
 粘土を固めて焼いたれんがは、優れた耐久性を持ちながら、人々に愛される建築材料だったんです。

れんが建築の楽しみ方

 れんが建築を活用して作られた人気スポットが「日比谷OKUROJI」。

 明治期のれんが高架橋を再生した施設で2020年にオープンしたんです。施設の中には、高架橋のアーチを天井の構造に生かしたお店や、創建当時のれんがの壁も残っており、歴史と新しさが融合した場所なんです!
 東京には、他にも素敵なれんが建築が。今回は専門家と一緒に、赤れんがの名建築を訪ねます!東京のれんが建築について教えてくれるのは、工学院大学建築学部の大内田史郎先生。明治以降の日本の建築に詳しく、近代建築の保存・再生事業にも関わってきたプロフェッショナルです。
 それではさっそく、東京のれんが建築巡りスタート!まずは、れんが建築の代表、東京駅丸の内駅舎!東京駅の見どころは、関東大震災にも耐えた構造とこだわりの職人技。1914年に完成した東京駅は、創建時に構造用のれんががおよそ752万個、外壁用の「化粧れんが」と呼ばれる薄いれんががおよそ85万個使われました。

 1923年には関東大震災が起こりますが、東京駅はビクともしませんでした。その秘密を探る鍵は、駅舎内に造られた美術館、東京ステーションギャラリーにあるんだそう。
 こちらは、創建当時の内部構造がそのままになっている場所。構造をよく見てみると、れんがの中に鉄骨があることがわかります。

 実は、当時の東京駅は、れんがを積み上げただけのれんが造ではなく「鉄骨れんが造」という構造を採用。れんがと鉄骨を組み合わせ、堅牢な造りにしたことで関東大震災にも耐えることができたんです。
 しかし、そんな東京駅も1945年の東京大空襲で、3階部分とドーム屋根を失ってしまいます。その後、応急処置的な修復がなされ、2階建て・八角屋根となり、70年近くそのままでしたが、2012年に創建当時の姿に復原されました。その設計に携わったのが、当時JR東日本の社員だった大内田先生なんです!このプロジェクトでは、3階部分、ドーム部分が復原されるとともに、より地震に強い免震化工事も施されたんです。そして創建当時にできるだけ近づけるためにこだわったポイントがあるそう。それは、外壁のれんがとれんがの継ぎ目の部分、目地。一般的なものは平らになっていますが、復原された目地は覆輪目地といい、カマボコ型にふっくらと盛り上がっています。
 一般的な、平らな目地と比べても、覆輪目地にすることで、立体感が生まれれんがの美しさが際立っているように見えます。

 覆輪目地は日本独自の技術ともいわれており、日本伝統の漆喰を使った「なまこ壁」をヒントにしたとも言われているんです。細部までこだわった施工により、創建当時に限りなく近い姿の東京駅が再現できたんです。

 続いて訪れたのは、れんがの外壁にツタが美しい、立教大学池袋キャンパス。

 大正8年に完成した立教大学のれんが建築群は、本館のほか、チャペル、旧図書館、食堂など現存する6棟のれんが建築が、東京都の歴史的建造物にも選定されており、耐震補強や劣化した外壁の修繕をしながら、今なお現役で使われているんです。こちらの見どころは、「フランス積み」というれんがの積み方。

 実は、れんがには大きく4種類の積み方が。「長手」と呼ばれる面を表にして並べる「長手積み」、「小口」と呼ばれる面を表にして並べる「小口積み」、「長手」と「小口」を1段おきに積む「イギリス積み」。そして、「長手」と「小口」を交互に積むのが「フランス積み」です。このフランス積みは、壁の表面に華麗な柄が現れることから、最もれんがらしく美しい積み方といわれています。
 れんが造りの名建築には、その姿を美しく見せるための工夫が詰まっていました。

横浜赤れんが倉庫修繕工事

 横浜のシンボルのひとつ、赤れんが倉庫。明治から大正期に、海外からの物資を保管するために建設された施設です。関東大震災で大きな被害を受けましたが、れんがに鉄板などを組み合わせる「定れん鉄構法」が施されており、震災を生き延びることができました。
 そして、赤れんが倉庫で今行われているのが大規模な修繕工事。劣化した外壁や雨漏りなどの修繕に加え、設備の交換なども含めて2022年までに完了する予定。
 この歴史的なれんが建築でどのような修繕工事が行われているのでしょうか。迎えてくれたのは、修繕工事を担当する堀内さんと黒須さん。
 横浜赤れんが倉庫は海が近く、「塩害」、つまり潮風に含まれる塩分の影響で劣化が進んでしまうこともあるそう。今回は、ひび割れや剥離、内部の空洞などにより、落下の危険性のあるれんがを張り替える作業なんです。

 そして、ただ直すだけではなく、歴史的なれんが建築ならではの工夫があるのだそう。一体どんなふうに行われるのか?れんがの壁の大部分は100年以上前の創建当時のれんがが使われています。構造に影響が出ないよう、れんがを丸ごと引き抜くのではなく、表面だけを削るのだそう。この削る作業はかなりの音が出るため、お客さんのいない夜間に行われます。修繕箇所以外のれんがを削らないように表面だけを4cmほど慎重に削ります。そして、新しい厚さ3cmの薄いれんがを、削った箇所に張るんです。このあと、1日置いて次の工程は、専用の材料を使い、丁寧に目地を埋めていきます。目地を埋めるとほぼ完成。

 ここで一つ気になることが!はめ込まれたれんがをよく見ると、少しシミのようなものが。なんと、風合いを合わせるために墨汁を塗っているといいます。これは、濃淡を表現するため。実は、墨汁の入った水にれんがを浸けてあえて汚れを付けているんです!用意したれんがは、3種類。浸けていないもの、墨汁5%の水に1、2秒浸けたもの、30分浸けたもの。これらを職人さんがうまく配置し、100年もののれんがの中にはめても違和感がないようにしているんです!これが、歴史的なれんが建築ならではの修繕工事。

 事前の点検作業も入れると、合計10カ月ほどかけておよそ2万2千枚のれんがを張り替えるんだそう。
 横浜のシンボル、赤れんが倉庫は歴史を受け継ぎながら次の100年へ向かっていきます!