「フジファブリック」ライヴでは、代表曲である『若者のすべて』を特別な演出でバンドが新体制になってから誕生した転機の曲『ECHO』を披露
ヴォーカルの志村正彦が亡くなってから12年…当時の心境や、苦悩や葛藤…これまでの歩みまで幅広く語る「フジファブリック」
ライヴでは、代表曲である『若者のすべて』を特別な演出でバンドが新体制になってから誕生した転機の曲『ECHO』を披露
毎週1組のアーティストを迎え、彼らの中に今も血液として脈々と流れる思い入れのある音楽や、背中を追い続けるアーティストにまつわるトークを交えつつ、ライヴ映像で紐解く新感覚の音楽番組「MUSIC BLOOD」。今回のゲストはフジファブリックさんでした。
ヴォーカルの志村正彦さんが亡くなってから12年、当時の心境や、苦悩や葛藤、これまでの歩みなど、幅広く語っていただき、番組史上屈指の真面目なトークとなりました。
ライヴでは、代表曲である『若者のすべて』と、グループが新体制になってから誕生した曲『ECHO』を披露。オンエアに入りきらなかったシーンも含めて、収録の裏側の一部をリポートします。
今回のゲストはフジファブリック。山内総一郎(Vo/G)、金澤ダイスケ(Key)、加藤慎一(B)からなるバンド。2000年に結成し、その後着実にキャリアを重ね、名実ともに人気バンドの仲間入りを果たした。中でも、2007年にリリースされた『若者のすべて』は、発売以来長年に渡り愛され、来年の高校の教科書に採用され、時代を超えて歌い継がれる名曲となっている。
「今回のゲストは、多くの若いバンドがリスペクトしているバンドで、過去に番組に出演したAwesome City ClubさんやSaucy Dogさんも好きだと公言していました!」と田中さん。千葉さんも「僕も大好きで、カラオケでよく歌わせてもらっています!学生時代から聴いているのでなんだか感慨深いです」と、テンション高めです。そんな千葉さんに、田中さんから久しぶりの”ジェスチャークイズ”の無茶振りが。千葉さんがジェスチャーでゲストさんを表現するというものですが、千葉さんは身振り手振りでフジファブリックさんを表現。早くも爆笑をかっさらったのでした(笑)。
MC&ゲスト、お互いにあいさつを済ませると、千葉さんがもじもじしながら「学生時代からずっと聴かせていただいています」と、改めて思いの丈を告白します。その流れで、フジファブリックが他のアーティストさんから尊敬されていることについてどう思っているのか訊くと「嬉しいですし、名前を出していただいて本当にありがたいなと思います」と、山内さんが笑顔で語ります。
田中さんが「『若者のすべて』が、来年から高校の教科書に掲載されることになりましたが、どんなお気持ちですか?」と訊ねると、山内さんは「初めてお話しを聞いた時は正直、信じられませんでした。こんなことってあるんだっていう」。加藤さんも「今まで全く想像したことがなかっただけに、びっくりしましたし、嬉しかったです」と語ります。
さらに山内さんは「『若者のすべて』という楽曲は、Aメロに日本人なら誰もが共感できるような要素が詰まっている一方で、サビの部分の「ないかな ないよな」で自分というか個人のことがフォーカスされているのですが、そういった部分がこの曲に惹かれる要素なのかなと思います」と、楽曲の魅力を改めて語ります。
そんなフジファブリックにとってのMUSIC BLOODは、楽曲ではなく人物。名前があがったのが志村正彦さん。2009年に急逝したフジファブリックのヴォーカリスト。今までメディアを通じて深く明かしてこなかったことを、今回特別に語ってくれました。
山内さんは「テレビなど、メディアを通して志村君のことを話すのが怖かったのですが、亡くなって12年が経った今、志村君のことをもっとたくさんの人に知って欲しい、もっと彼のことを伝えたいと思いました」と、神妙に語ります。金澤さんも「志村は初めて会った時から、音楽を突き詰めていました。いつも”名盤を作りたい”って言っていましたし、自分の音楽を表現する覚悟というものが常にあったと思います」。そういえばと言いつつ、山内さんが再び語ります。「志村君はクリアファイルの中にいつもコピー用紙を持ち歩いていて、いつでも思いついたことを書き留めるようにしていましたね」
話の流れから「雄大は普段何を書き留めているの?」と、無茶振り的な質問をすると、真面目なトーンで「脚本を書いています」。「嘘だろ!」と田中さんが疑うも、「いや本当に(笑)」と恥ずかしそうに答える千葉さんなのでした(笑)
次に話題は、志村さんが亡くなった時のことに。「当時は自分の心が無くなっていました。今でも正直、気持ちの整理がついていないと感じる時があります。言葉では言い表せない、自分が自分じゃなくなってしまった感じでした」と山内さん。金澤さんも「当時の記憶が曖昧なままです。あの時は事実と向き合おうとしても、ショックすぎて心が拒否していました」と、振り返ります。さらに加藤さんも「しばらくは何もできないまま、ただ時間だけがすぎていったという感じです」。
さらに山内さんが、亡くなる前から決まっていたライヴやイベントを、どう実現させたかを語ります。「奥田民生さんや藤井フミヤさん、吉井和哉さん、斉藤和義さんなど、そうそうたる先輩方が志村君の意志を受け継いでステージに立ってくれました。今でも本当に感謝しかありません。空に向かって、志村君に語りかけるように歌いあげる姿がすごく印象に残っています」
披露するBLOOD SONGは『若者のすべて』。今回は特別に志村さんの歌声を入れつつ、志村さんの母校である山梨県立吉田高校音楽部の生徒たちも参加することに。その理由を「志村君と、志村君の故郷で同じ空気を吸っている人たちとバンドメンバーで一緒に披露できたら、こんなに素敵なことはないと思い提案をさせていただきました」と、金澤さんが語ります。
話題は、志村さんが亡くなった後のバンドの道のりについて。山内さんが当時を振り返ります。「その時はバンドを続けていくという選択肢はなく、個々で活動をしていました。ただそれでも、三人で定期的に集まったりはしていました。そして時間が経つにつれてフジファブリックを無くしたくないという気持ちが強くなって、ある時メンバー二人に、僕が歌ってバンドを続けるのはどうかなと提案をしました」。これに金澤さんが答えます。「それを聞いて「ありがとう」と言いました」。
だが、志村さんの代わりに歌うことに、相当なプレッシャーがあったと、山内さんが続けて語ります。
「志村君が作ったバンドだからなんとか残したいという気持ちと、でも3人でやって潰してもダメという思いにかなり悩みました。当時は僕がライヴで歌い始めると、お客さんが全員帰っていくという夢を何度も見ました。あとストレスから、耳鳴りが何日も止まなかったり、それほど追い詰められていたかもしれません。でも実際のライヴでは、ファンの皆さんが拍手で迎えてくれたり、温かい声援などに救われました。本当に嬉しかったですし、ありがたかったです」
そんな中でも、前に進めると思える瞬間があったそう。それが今回のもう一つのBLOOD SONGである『ECHO』が完成した時。山内さんがヴォーカルになって初めて作った楽曲。
「この曲ができたことで、自分の中で大きな覚悟が生まれました。志村君への思いを歌った曲で、時間が経ってもずっと歌い続けていきたいと思える楽曲になりました。そしてこの曲が、バンドを続けていくための原動力になっていると思います。僕らにとって大事なBLOOD SONGです。今回は、志村くんと一緒に歌っていくという気持ちで披露をさせていただきます」
メンバーそれぞれが丁寧に「お願いします」と言いながらスタンドイン。『若者のすべて』は、志村さんの母校である吉田高校音楽部の生徒さんたちも参加。生前の志村さんの歌声をあわせて、時を超え、世代を超えた共演が実現。バックに映像として流れていた生前の志村さんの姿が、ノスタルジックなムードに拍車をかけていました。またもう一つのBLOOD SONGである『ECHO』は、イエローの電飾がきらめく、温もり豊かな雰囲気の中で披露。今は亡き志村さんへの思いを綴った、悲しみと前向きな気持ちが入り交じった歌詞とミドルテンポの曲調は、聴くものに勇気を与えてくれます。