応援リーダー
岩手県盛岡市に生まれ
小学6年時に全日本少年大会に出場。
中学3年でU−16日本代表候補に選出。
高校は岩手県立大船渡高へ進学。(第75回・第76回と選手権に出場)
1998年 鹿島アントラーズ入団。
2002年・2006年は日本代表に選出、日韓・ドイツと2度のワールドカップを経験。
2006年 イタリア「メッシーナ」へ移籍。
2007年 鹿島アントラーズへ復帰。
彼の繰り出すパスやドリブル、そしてロングシュート、日本屈指の名プレーヤーである!
岩手県には盛岡商という全国大会の常連校があるが、あえて齋藤重信監督(後に盛岡商へ赴任。第85回大会で全国制覇を遂げる)率いる大船渡高へ進学を決める。
“東北のファンタジスタ”と言われた天才派選手、全国ベスト16に駒を進める。大会優秀選手にも選出され注目を集める。
「高校3年間は、監督の家に下宿させてもらい食器洗い・洗濯・風呂掃除などもやり…勉強もやり!サッカーもやり!!すごく大きな財産となっている。
よく監督からは『お前だけでやっているんじゃないんだ』と、サッカーでも、私生活でも、周りに気を配って、人との関わりを凄く言われた記憶がある。
齋藤監督はお父さんみたいな存在で、時に厳しく・時に優しくサッカーも私生活も、一人の人間として色々と教わった」と語っています。
よく監督からは『お前だけでやっているんじゃないんだ』と、サッカーでも、私生活でも、周りに気を配って、人との関わりを凄く言われた記憶がある。
齋藤監督はお父さんみたいな存在で、時に厳しく・時に優しくサッカーも私生活も、一人の人間として色々と教わった」と語っています。
自他共に認める『負けず嫌い』
「勝つためには、まず自分に負けているようではいけない。
本当に苦しいところで頑張らないといけない。
嫌な練習などあるかもしれないが、そういうところでも自分に負けない人が集まれば相手にも勝てると思う。
また、自分自身そうですが、そんな仲間と過ごした思い出は一生残ると思う。
高校サッカーで過ごす仲間と共に頑張って欲しい。
そしてひとつでも多く勝って、本当に長い人生の大きな財産にして欲しいと思う。」
(本人インタビューより)
「勝つためには、まず自分に負けているようではいけない。
本当に苦しいところで頑張らないといけない。
嫌な練習などあるかもしれないが、そういうところでも自分に負けない人が集まれば相手にも勝てると思う。
また、自分自身そうですが、そんな仲間と過ごした思い出は一生残ると思う。
高校サッカーで過ごす仲間と共に頑張って欲しい。
そしてひとつでも多く勝って、本当に長い人生の大きな財産にして欲しいと思う。」
(本人インタビューより)