「絵を描くとは、テーブルの上のリンゴをいかに見るかを理解している人間の技術なのだ。ただのリンゴを描くのはほとんど意味がないように思われる。しかしこのように単純至極なものを美しいという段階にまで引き上げるには、そこに完璧な絵が存在しなければならないだろう」。
幻想的、神秘的なパステルや版画で知られる世紀末の画家オディロン・ルドンの言葉だが、この言葉はあたかもセザンヌのために、あるいはセザンヌ自身が書いたかのようである。確かにセザンヌが描いた果物は、17世紀のオランダの画家たちが描いた、思わず食べたくなるようなジューシーな果物ではない。ここにある果物にしても、どれもがあたかも一個の人格を得て、じっと沈思黙考するかのような存在感がある。その周辺の水差し、白いクロス、バロック風の豪華なカーテンもそれぞれの「位置」を得ながら、相互の連携、つながりも忘れない。つまり部分と全体の調和という点でもセザンヌの絵は傑出している。
セザンヌの絵が教えているのは、それがモノや風景の単純な「再現」ではなく、画家の目と緻密な思考回路を経て生まれ変わった、「リンゴにしてリンゴにあらず」の世界であるという、単純だが意外に気づかない事実である。
作品解説 千足伸行