コラム COLUMN
ズドラーストヴィチェ(こんにちは)!
アートライターの木谷節子です。
早いもので4月の終わりに始まった「大エルミタージュ美術館展」も、残すところあと数日、本コラムも最終回となりました。そこで今回は、ロシア革命以降、エルミタージュ美術館はどうなったのか、少しだけお話しておきましょう。
現在、エルミタージュ美術館の冬宮には「小食堂」と呼ばれる瀟洒な食堂があります。ここは、もともとロシア最後の皇帝となったニコライ2世が、家族水入らずで食事を楽しむ場所でした。
しかし、1905年1月9日(旧暦1月22日)の「血の日曜日事件」(日露戦争の莫大な戦費や戦役を苦にした数万人の民衆が、宮殿広場に向かって請願行進しているところを、政府軍が発砲。多数の死者を出した)以来、各地に広がった革命の嵐は、やがて皇帝一家を飲みこみます。ニコライ2世は、二月革命により発足した臨時政府に迫られて、1917年3月15日(旧暦3月2日)に退位。サンクトペテルブルクを舞台に200年にわたって栄華を極めたロマノフ王朝は、ここに幕を閉じたのでした。
皇帝一家をとらえた臨時政府の閣僚もまた、1917年11月7日(旧暦10月25日)、レーニン率いるボリシェヴィキに逮捕されてしまいます(十月革命「冬宮襲撃事件」)。その逮捕の現場となったのが、ニコライ2世がかつて家族と団欒した冬宮の「小食堂」で、この部屋のマントルピースに置かれた時計は、今も事件の起こった(深夜)2時10分で止まっています。その時間をもって、冬宮を中心に回っていたロシアの時計は、新しい時代を刻み始めたのでした。
そして1922年、サンクトペテルブルクは首都をモスクワに譲り、革命家レーニンにちなんで「レニングラード」と改名されます(1991年まで)。皇帝の住居であった冬宮は革命政府によって破壊されることなく、美術館として存続しますが、その運営にはさまざまな苦難が伴いました。
中でも困難を極めたのが、「900日包囲戦」の時期。「レニングラード包囲戦」とも言われるこの歴史的な出来事は、第二次世界大戦中のおよそ900日間(1941年9月8日~44年1月18日)、レニングラードがナチス軍の率いるドイツに包囲され、それに耐え抜いた戦争のことを言い、この時、市民の1/3というおびただしい数の人々が飢餓や爆撃で亡くなりました。
ドイツ軍が独ソ不可侵条約を無視して、突然ソヴィエトへ侵攻してきたのは、1941年6月22日のこと。これを知った美術館の職員は、ただちに美術品の疎開準備を開始します。彼らは灯火管制の中夜を徹して美術品を梱包し、ほぼ1か月後の7月20日までに150万点もの所蔵品を、ウラル山脈中部の街スヴェルドロフスク(現在のエカテリンブルグ)に列車で送り出しました(その1か月後には、レニングラードに通じる鉄道はすべて占拠されてしまいました)。
そして館員たちは、残った美術品とともにエルミタージュ美術館に籠城。多い時には、館員、市内の美術関係者、そしてその家族約2000人が、美術館に移り住んだと言われています。彼らは美術館の中庭や、かつてエカテリーナ2世がプライベートの時間を楽しんだ小エルミタージュの屋上庭園に畑を作り、飢えをしのぎました。ガイドさんによると、この時は、とくに女性の学芸員が大活躍したそうです。
食べるものはもちろん、暖房もなく、電気や水道は止められ、蝋燭(それも貴重品)だけが頼りの籠城生活。冬宮を狙った爆撃は何度もありましたが、そんな中でも、学芸員たちは美術の研究を続けたというから驚きです。後にエルミタージュ美術館の館長となる考古学者のボリス・ピオトロフスキーもまた、この時に彼の最大の業績とわれる『古代ウラルトゥ王国』の研究を書き上げています。
実は、このボリス・ピオトロフスキーの息子さんが、現エルミタージュ美術館館長、ミハイル・ピオトロフスキー氏です。珍しいことに、ソ連時代から現在までの2つの時代を、親子2代で館長となり、エルミタージュ美術館を盛り立てているのです。とくに現館長は、ソ連崩壊後、ロシアを見舞った混乱と経済危機の中、エルミタージュ美術館の舵をとり、数々の改革を行いました。美術館の所蔵品を国外で観る機会が増えたのも、ピオトロフスキー館長の改革のおかげということです。
今私たちは、当たり前のようにエルミタージュ美術館の作品を日本で享受していますが、よく考えると、たった20数年前の冷戦時代には考えられなかったこと。ここに至るまでには、ロシアにとっても、エルミタージュ美術館にとっても、長く険しい道のりがあったのですね。
さて、これでこのコラムも終わりです。東京展は7月16日(月・祝)まで開催していますので、まだの方はぜひお早目にご覧ください。そして、今まで読んでいただいた方、どうもありがとうございました!
それでは、本日はこのへんで。
ダ スヴィダーニャ(さようなら)!
(参考文献:『エルミタージュ 波乱と変動の歴史』(郡司良夫・藤野幸雄/共著 勉誠出版、2001年)
アートライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」などでアート情報を執筆。アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。