コラム COLUMN
ズドラーストヴィチェ(こんにちは)!
アートライターの木谷節子です。
本日は「大エルミタージュ美術館展」最後の章、「20世紀 マティスとその周辺:アヴァンギャルドの世紀」から、ロシアの大コレクター、セルゲイ・シチューキンをご紹介しましょう。著作権の関係上、作品写真が少な目なのはご勘弁を。
この第5章は、20世紀初頭のフランスの前衛美術を紹介するセクションです。ここでの最大の見どころは、なんと言ってもマティスの名品《赤い部屋(赤のハーモニー)》。壁紙とテーブルクロスが同化してしまったかのような、平面的かつ装飾的な作品で、1908年に描かれました。《赤い部屋(赤のハーモニー)》という題名がついている通り、青い植物文様や黄色い果実でアクセントがほどこされた、画面を覆う深い赤色が印象的。とくに展示会場では、真っ白な壁面に飾られていることもあって、赤色がとても美しく映えています。
ところがこの作品、最初は《青のハーモニー》だったというから驚きです。つまり、本作はもともと青く塗られていたのですが、作者のマティスがサロン・ドートンヌという展覧会に出品する直前、一夜にして青から赤に塗り替えてしまったのでした。その証拠に、今も画面の右側や下側にはうっすらと緑っぽい色が残っています。ここを見ると、「深く鮮やかな赤の下には、こんな色が塗られていたのか」と実感することができるでしょう。
さて、歴代皇帝の美術コレクションを集めたエルミタージュ美術館というと、今までご紹介したように、古典的な作品が多いのでは? と思われる方は多いでしょう。もちろんその通りなのですが、実は、フランス近代絵画の宝庫でもあるのです。それらの多くは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ロシアの大富豪モロゾフとシチューキンによって集められました。
印象派、ポスト印象派、20世紀絵画……、と2人が収集したフランス近代絵画のコレクションは、現在、エルミタージュ美術館の3階に展示されています。その中でも人目を引くのは、シチューキンの集めたマティス作品の展示室。まず中央の壁面に《赤い部屋(赤のハーモニー)》がドーンと飾られ、向かって右側に褐色の人々が楽器を演奏する《音楽》が、左側にニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵する作品の別ヴァージョン《ダンスⅡ》が展示されたこの部屋は、マティス好きには堪らない空間となっています。
ロシアを代表するコレクター、セルゲイ・シチューキン(1854-1936)は、繊維貿易で巨万の富を得たモスクワの商人イワン・シチューキンの三男坊で、家業を営みながら足しげくパリに通い、絵画コレクションに情熱を傾けました。もともとは、ロシアの美術家や、フランスの自然主義の作品を集めていましたが、1897年、パリの画廊でモネの作品を購入したことからフランスの前衛芸術に目覚め、以後、印象派からピカソまでの作品をまさにリアルタイムで収集しました。
そして1906年、画商のヴォラールにマティスを紹介されたシチューキンは、当時フランスでも評価の定まっていなかった彼のパトロンとなり、自らの邸宅を飾るために《赤い部屋(赤のハーモニー)》《音楽》《ダンス》などを矢継ぎ早に購入、着々とマティス・コレクションを充実させていったのです。
さてエルミタージュ美術館には、本展に出品されている《マンドリンを弾く女》他、ピカソのキュビスムの作品だけが並ぶ部屋があります。実は私は、ここに来て初めて、ピカソのキュビスムの素晴らしさを肌で感じたような気がしたのですが、それらパワー漲るピカソ作品もまたシチューキンの旧蔵品です。
面白いことに、シチューキンにピカソを紹介したのは、マティスだったと考えられています。彼は1908年、自らのパトロンを、当時ピカソがアトリエをかまえていたモンマルトルの「洗濯船」に連れて行き、ピカソに会わせているのです。その翌年から、シチューキンによるピカソの大量購入が始まりました。
マティスの回想によると、シチューキンは、自分が欲しい作家の作品を画廊の店先にありったけ出させて、その中から購入作品を自ら選び出したとのこと。当時究極のアヴァンギャルドだったマティスやピカソの作品を、他人の意見に頼らずイチ早く評価し、珠玉のコレクションを築いたシチューキンという人は、本当に素晴らしい審美眼の持主だったことがよくわかります。彼はまた自宅を開放して、自らのコレクションを一般公開しています。ロシアの若い芸術家たちは、これらの作品を観て、最先端の美術の動向を知ったのでした。
ところが1917年、ロシア二月革命、十月革命が相次いで勃発、300年続いたロマノフ王朝は幕を閉じます。シチューキンの美術コレクションは革命政府に接収され、彼自身も家族とともにパリへの亡命を余儀なくされました。そして約20年後の1936年、シチューキンは祖国に戻ることなく、パリでひっそりと息を引き取ったのでした。
つまり、シチューキンがモスクワの自宅で《赤い部屋(赤のハーモニー)》を愛でることができたのは、10年にも満たない短い時間だったのです。マティスやピカソと交流しながら自分の愛する絵を存分に集めることができたこの時期は、シチューキンにとって生涯最後の、祖国における穏やかな時代だったのかもしれません。
それでは、本日はこのへんで。
ダ スヴィダーニャ(さようなら)!
アートライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」などでアート情報を執筆。アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。