コラム COLUMN
ズドラーストヴィチェ(こんにちは)!
アートライターの木谷節子です。
ロシア人ガイドのガリーナさんによると、「ロシア人は、少々乱暴でも強力なリーダーが大好き」なんだそうです。確かに、名前を聞いたことのあるロシアの歴代指導者を思い浮かべると、皆さん強烈なリーダーシップの持ち主。もちろん本日の主人公、ピョートル大帝も、その中のひとりということができるでしょう。
Vol.2でもお話したように、ピョートル大帝といえば、帝政ロシアの首都サンクトペテルブルクを創建した人物です。18世紀初頭、ロシアを遅れた辺境国からヨーロッパ先進諸国の一員にしたかった大帝は、ヨーロッパ⇔バルト海⇔ネヴァ川⇔ロシア内陸部とつながる湿地帯に、すべてがヨーロッパ風の新都を建築することを計画。まずはネヴァ川の「兎島」に、強国スウェーデンににらみをきかす「ペトロパヴロフスク要塞」を建設し、そこからたった10年でサンクトペテルブルクを築き上げました。そしてロシアの首都機能を内陸のモスクワからバルト海に面する新都へと引っ張り出して、サンクトペテルブルクを文字通り「ヨーロッパへの窓」としたのです。
ピョートル大帝が「ヨーロッパ風」にしたかったのは街並みだけではありません。たとえば、まだ20代の頃、彼はお忍びで(とは言っても、外遊先にはロシア皇帝御一行様とバレバレ)ヨーロッパを視察しているのですが、帰国後は西欧化改革の一環として、当時ロシア男性が豊かにたくわえていたヒゲを切らせ、切らない者には「ヒゲ税」を払わせました。当然、廷臣たちの服装も西欧風を義務づけ、「指で鼻をほじらないこと。ナイフで歯の掃除をしないこと」など、マナーも徹底させています。サンクトペテルブルクができると、貴族たちをモスクワから強制移動。いよいよヨーロッパ風の生活習慣にどっぷり浸かることになった彼らは、明治時代、慣れない洋装に身を包み、鹿鳴館でダンスを踊っていた元サムライたち同様にギクシャク感を漂わせていたのかもしれません。
それにしてもこのピョートル大帝という人は、自身が2m以上の大男だったという外見も含めて、面白エピソードに事欠きません。たとえばヨーロッパ視察中のオランダでは、身分を隠して一介の船大工として働いてみたり、友人の小間使いだった洗濯女をお妃(大帝の後妻で後のエカテリーナ1世)に迎えたり。またヨーロッパで、造船技術の他、医術や歯科治療も習得した彼は、家来の虫歯を見つけては有無を言わさず歯を抜いていたということです。もちろん麻酔無しで(笑)。
そんなピョートル大帝ゆかりの名所は、とくに「ペトロパヴロフスク要塞」がある「兎島」を中心に点在します。たとえば、要塞の建築が始まってすぐ、大帝が避暑のために建てた丸太小屋や、彼がしばしば園遊会を催した「夏の庭園」。ピョートル大帝の彫像の中でも傑作と言われる《青銅の騎士》は、「デカブリスト広場」にネヴァ川を見据えるように建っています。
またネヴァ川の桟橋からフェリーで行くことができる近郊の「ペテルゴーフ」(「ピョートルの宮殿」の意)も観光名所。ピョートル大帝が夏を過ごすために建て、その後歴代皇帝が再建、改築を進めた宮殿ですが、宮殿前の大噴水の他、広大な庭園のあちこちに配された、様々な噴水が有名です。
さてここで、このコラムを読んでいる美術館・博物館好きの人に、ぜひ「クンストカメラ」をご紹介しておきましょう。こちらはエルミタージュ美術館前の宮殿橋を渡ったヴァシリエフスキー島にある、人類学・民俗学の博物館です。
突然ですが、皆さんは「博物館(美術館を含む)=ミュージアム」の起源をご存じですか? その最初の形態は、世の中の珍奇なものを集めて展示した「驚異の部屋(ヴンダーカマー)」にあると言われています。これは未知の動物の骨や、珍しい貝殻、希少な動物の標本など、あらゆるものをビックリ箱のようにつめこんだコレクションルームで、ヨーロッパでは15世紀ごろから、王侯貴族や富裕層の間でつくられるようになりました。かなりグロテスクなものが多かったために、コレクターはパーティーを開いて場が盛り上がったところで部屋を公開、自らのコレクションを自慢したということです。
このように、見世物的だった「ヴンダーカマー」のコレクションは、次第に科学的な分類が進み、やがては教育的な「博物館」になっていくのですが、1718年、ピョートル大帝が建てた「クンストカメラ」は、当時の「ヴンダーカマー」の様子を色濃く残す、とても興味深いロシア最初の博物館です。メインフロアに展示されているものは……、サンクトペテルブルク一背が高かった男の骸骨や、双頭の牛や蛇などの骨、様々な生物のホルマリンづけの標本など。実物はかなりグロテスクですので、行かれる方はご注意を!
ピョートル大帝は、サンクトペテルブルクに厭々移住してきた貴族たちを楽しませようと、彼らを「クンストカメラ」に招いてはコレクションを見せ、ウォッカやお菓子をふるまったのだとか。それでもこの「驚異の部屋」に来たがる貴族は、とても少なかったということです。もちろん今は、怖いもの見たさの人々が押し寄せる、人気の観光スポットですけれどね!
それでは、本日はこのへんで。
ダ スヴィダーニャ(さようなら)!
アートライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」などでアート情報を執筆。アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。