コラム COLUMN
ズドラーストヴィチェ(こんにちは)!
アートライターの木谷節子です。
前回から始まった「大エルミタージュ美術館、出品作品雑学解説」。本日のテーマは、17世紀に絵画の黄金時代を迎えたフランドル地方(主に現在のベルギー北部)と、オランダの画家を紹介している、第2章「17世紀 バロック:黄金の世紀」から取り上げましょう。
展覧会で紹介されている画家の中で特に有名な画家を挙げるとすれば、フランドル地方ならやはりルーベンス(1577‐1640)とヴァン・ダイク(1599‐1641)、オランダならレンブラント(1606‐1669)やライスダール(1628/29-1682)という感じ? しかし、レンブラントはVol⑨他で触れていますし、ライスダールの海景画は地味…もといシブすぎるので、今回は「フランドル地方のイケメン師弟」のお話をいたしましょう。
第2章、茶色の壁紙の部屋に入ると、ルーベンスの《虹のある風景》と《ローマの慈愛(キモンとペロ)》がドーンと展示されています。画面手前に休息する男女の姿を、遠くには虹のかかった岩山や村の風景を描いた《虹のある風景》は、どこか非現実的な、しかし自然の「宇宙的な」雄大さを感じさせる不思議な魅力に富む作品。《ローマの慈愛(キモンとぺロ)》は、とらわれ飢え死にしそう(しかし青年のように筋骨隆々)な父キモンに、豊満な美女である娘のペロが母乳を与えているという、現代人にはいろいろと突っ込みどころの多い図なのですが、ルーベンス特有の「(人体の)肉の輝き」が堪能できる作品です。
そしてその横の壁面に飾られているのが、23歳頃の自分のイケメンぶりを「これでもか」と見せつけてくれるヴァン・ダイクの《自画像》と、彼が当時のイギリスの貴族の姉妹を描いた《エリザベスとフィラデルフィア・ウォートン姉妹の肖像》です。
このルーベンスとヴァン・ダイク、個別にはけっこう有名なんですが、(とりわけ、ある年代以上の日本人には、あの名作アニメ『フランダースの犬』と言えばピンとくるはず。最終回で主人公のネロが観たいと切望し、その前で愛犬パトラッシュとともに天に召された宗教画が、アントワープ、ノートルダム大聖堂のルーベンスの祭壇画《キリスト昇架》と《キリスト降架》です)、実は師弟関係にあり、そろいもそろって素晴らしい経歴の持ち主、ということまではあまり知られていないと思います。
特にルーベンスは、容姿端麗にして人間性に優れ、教養も豊かで語学堪能。幼くして法律家の父を失ったために貴族の小姓勤めをした経験があり、また絵画の師匠にも貴族との付き合い方をバッチリ教育されたと言われています。というわけでルーベンスは、まるで漫画の主人公のような「デキる男」に成長、後には外交官として外国に派遣され、フランドルの宗主国であるスペインとイギリスの和平調停まで行いました。
画業の方では、14歳の時に絵画の修行をはじめ、22歳頃に赴いたイタリアで、早くもマントヴァ公の宮廷画家として活躍。そして約10年後、アントウェルペン(現在のベルギー、アントワープ)に戻ってきた後は、当時フランドルを統治していたアルブレヒト大公とイザベラ大公妃(スペイン国王フェリペ2世の長女)の宮廷画家に任命されています。
しかも当時のフランドルは敵対関係にあった隣国オランダとの戦争がちょうど休戦に入ったところで、復興事業の真っ最中。とくに大聖堂の再建と再装飾は急務でしたから、イタリア帰りのエリート画家、ルーベンスには仕事がバンバン舞い込みました。そんな大仕事のひとつが、あの名作アニメで主人公の少年ネロが夢見た祭壇画だったというわけです。こうしてますます名をあげたルーベンスには、今度は各国の王侯貴族から「うちの宮殿にも絵を描いて~」とラブ・コールが。ご主人様の大公夫妻も、(他の仕事をする時には許可が必要だった)前回のスケドーニの親分と違って、「どんどんお描きなさい」状態だったので、ルーベンスの作品はヨーロッパ中の宮殿を飾ることになるのです。その代表的な作品が、パリ、ルーヴル美術館「ルーベンスのホール」を飾る、巨大な24点の連作《マリー・ド・メディシスの生涯》です。
ところでこんな大仕事、ルーベンス1人でできるわけがありませんよね。ということで、ルーベンスは工房を経営し弟子たちとの分業体制で作品を制作していたのですが、彼の片腕としてその画風を完璧にコピーできたと言われているのが、ヴァン・ダイクです。早熟な彼は20歳前後、ルーベンスのもとで働きながら、貴族社会での立ち居振る舞いなども学び、師匠にならってイタリアに留学。その後、芸術好きなイギリス国王チャールズ1世に招かれて、イギリス王室の宮廷画家となり、1632~40年まで主に肖像画の分野で活躍しました。ヴァン・ダイクにはチャールズ1世より住宅兼工房が与えられ、そこにはしょっちゅう国王夫妻が訪れたので、後に専用の道路までがつくられたということです。
しかし、これほどまでにイギリス王室に愛されたヴァン・ダイクは、突然の病に倒れ、42歳という若さで死去。その8年後、彼の最大のパトロンだったチャールズ1世が、清教徒革命で処刑されてしまったことを考えると、短い生涯ではありましたが、ヴァン・ダイクはちょうど良い時期に自らの才能を最大限に発揮できたのかもしれませんね。
日本では近代以降の美術家が紹介されることが多いこともあり、いわゆる「芸術家」とは、貧しさの中で芸術と格闘したゴッホやモディリアニのような人、というイメージが強いかもしれません。が、王様がいた時代には、宮廷画家というセレブリティも数多く存在したのです。その中でも、画家としてはもちろん、外交官としても大活躍、その後は53歳で16歳の女性と再婚し(最初の妻とは死別、前妻の姪であった2度目の奥さんとは5人の子どもをもうけるほどの仲の良さ)、晩年はアントウェルペンの大豪邸と郊外の大きな別荘を行き来しながら仕事をしたルーベンスは、ヨーロッパの画家の中でも、1、2を争うほどに華々しい人生を送った画家と言えるのかもしれません。
それでは、本日はこのへんで。
ダ スヴィダーニャ(さようなら)!
本日のおまけ
おばあさんが、赤ん坊のように布にくるまれた猫におかゆを食べさせている図。展覧会カタログを読んでも詳細わからず、諷刺画か寓意画の類かもしれません。ところで猫といえば、エルミタージュ美術館では、エカテリーナ2世の時代から、ネズミ退治のための猫をたくさん飼っているんですよ。余った猫は一般の希望者にもらわれていくそうですが、エルミタージュの猫は他の猫よりお行儀がいいのでとても人気があるそうです。
©Photo: The State Hermitage Museum, St. Petersburg, 2012
アートライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」などでアート情報を執筆。アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。