コラム COLUMN
ズドラーストヴィチェ(こんにちは)!
アートライターの木谷節子です。
本日ご紹介するのは、第4章「19世紀 ロマン派からポスト印象派まで:進化する世紀」。モネやルノワールが登場するこのセクションは、「名前は知っている!」という画家たちに数多く出会えることでしょう。
たとえば、ロマン派の巨人ドラクロワ。彼はその華麗な色彩表現で、「色彩の魔術師」とも言われます。まあ、印象派以降の色とりどりの絵画を知っている私たちには、彼の画面の「魔術師ぶり」はイマイチよくわからなかったりするのですが……。とはいえ、《馬に鞍をおくアラブ人》に見られる、鮮やかな緋色の使い方や激しいタッチは、つるんとした仕上がりの重厚感あふれるアカデミックな絵画とは違って、観る者の感情に訴えかけるものがありますね。
また、コローやルソーといったパリ郊外のバルビゾンで絵を描いた画家や、シスレー、モネ、ルノワールなどお馴染みの印象派の面々、ポスト印象派のセザンヌ、若い頃は「ナビ派」というグループで活動したドニやボナール、そして輝く点描が美しい新印象派のシニャック……、とここまでくると「○○派」のオンパレード。なんだか美術の教科書をつまみ食いしているみたいです。
これら有名どころは、美術史の中でいかに革新的な仕事をしたか、ということで名前が挙がる人々です。そのほとんどが、「アカデミスム」という権威の中でも異端児だったり、印象派のように伝統的で重厚な絵画を良しとする「サロン(官展)」を嫌った画家たちでした。しかし、当時は、美術アカデミーの主催する「サロン」で高く評価されることこそ、画家としての成功への近道だったのです。
この第4章でも、今はそれほど知られていませんが、この時代、「サロン画家」として名を馳せた画家も紹介されています。たとえば《アカバの族長たち(アラビア・ペトラエア)》を描いたレオン・ボナは「サロン派のアカデミックな絵画において傑出した画家の1人」で、国立美術学校の教授となった人。また現代の感覚でもかなり艶めかしく感じる《洞窟のマグダラのマリア》の画家ジュール・ルフェーヴルも、当時の若手美術家の登竜門である「ローマ賞」の一等賞を受賞してローマに留学したエリートでした。
つまり、この第4章は、19世紀の保守と革新の絵を一堂に見ることができるという点でも見どころ満載。その中でも「アカデミスム絵画」の画家の中の重鎮と言えば、ジャン=レオン・ジェロームです。
印象派のモネより16歳年上のジェロームは、23歳の年にサロンで銅メダルを獲ったことを皮切りに、画家としての成功をおさめ、41歳の時にフランス学士院のメンバー(つまり美術アカデミーのメンバー)となってフランス画壇に君臨しました。ちなみにこの1865年といえば、マネがサロンに《オランピア》(1863年、オルセー美術館蔵)を出品し、スキャンダルを巻き起こした年。このマネを「新しい!」と感じ、彼を慕って集まってきたのが、旧態依然としたサロンに不満を抱いていた、モネやルノワールなど後の印象派の面々です。
「ヨーロッパの絵画史に本格的な近代をもたらした」と言われる印象派が生まれようとしていた時に、アカデミー会員となったジェローム。彼は大の印象派嫌いだったことでも有名です。たとえば画家のカイユボットの死後、彼の印象派のコレクションが国家に寄贈されることになった1894年には、その受け入れを阻止するための一大反対キャンペーンを張りました。しかし、彼の印象派嫌いを伝える最も有名なエピソードといえば、もうこれしかないでしょう。
それは、1900年のパリ万博で行われていた美術展覧会での出来事。アカデミーの大御所であったジェロームは、このフランス美術100年の歴史を振り返る回顧展を、当時の共和国大統領ルーベを案内して回っていました。しかし、マネや印象派など新しい美術の潮流が紹介されている展示室に来た時に、彼は大統領にこう進言したのです。「閣下、この部屋に入ってはいけません。これはフランスの恥辱です」
今や、印象派の殿堂オルセー美術館を訪れることが、パリ観光の目玉であることを考えれば、印象派はフランスの恥辱どころかお宝中のお宝です。もちろん、ジェロームの言葉は彼だけではなく、伝統的な絵画を愛し保守的な考え方を持っていた人々の意見を代弁したものでした。というよりフランスでは、1900年当時でも、ジェロームのような考え方をしていた人は多かったのです。ですからジェロームは、自分が亡くなった後、印象派がこれほどまでに評価されることになろうとは、よもや考えてもいなかったことでしょう。そんなジェロームと印象派の絵画が、同じセクションで仲良く紹介されているのも、なんだか面白いことですね。
それでは、本日はこのへんで。
ダ スヴィダーニャ(さようなら)!
本日のおまけ
パリ郊外にあるマルメゾン宮殿の庭園でのパーティの様子を描いた作品です。ナポレオン一世が友人や取り巻きたちと鬼ごっこをしている図が面白く、写真のように緻密に描かれていることにも驚きました。現在はあまり知られていませんが、作者のフランソワ・フラマンも、アカデミスムの画家と考えていいようです。歴史画を制作することが大好きで、ここに出てくる実在した人物は、当時の肖像画を見ながら描かれ、衣装から雰囲気まで正確に再現されているのだとか。個人的には、この絵の制作年が、セザンヌの《カーテンのある静物》とほぼ同時期なのがツボでした。
©Photo: The State Hermitage Museum, St. Petersburg, 2012
アートライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」などでアート情報を執筆。アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。