コラム COLUMN
ズドラーストヴィチェ(こんにちは)!
アートライターの木谷節子です。
本日の「大エルミタージュ美術館、出品作品雑学解説」は、エルミタージュ美術館の生みの親エカテリーナ2世と同時代、第3章「18世紀 ロココと新古典派:革命の世紀」から取り上げましょう。
本ホームページのトピックにも書いてあるように、本展ではエカテリーナ2世が直接買い求めたことがわかっている作品が3点あります。そのうちの2枚がジャン・ユベールが描いた《ヴォルテールの朝》と《植樹するヴォルテール》、あとの1枚がイギリスの画家ライト・オブ・ダービーによる《外から見た鍛冶屋の光景》です。
しかし、《ヴォルテールの朝》は、「いったい誰が観たいの?」と言いたくなるような「おじいちゃんの着替えシーン」だし、《外から見た鍛冶屋の光景》も、そもそも「画家のライト・オブ・ダービーって誰?」というお話。何も知らないと素通りされてしまいそうなので、今回はこれらの作品とエカテリーナ2世がどのように関わっているのか、ということについてお話しましょう。
まず、ヴォルテール。遠い昔に学校で習ったかもしれませんが、こちらは啓蒙主義を代表する有名な哲学者です。『哲学書簡』といった哲学書の他に、『カンディード』というピカレスク小説も書いています。また、宝くじを買い占めて現在の金額にして5億円ほどの大金を儲けたなんてエピソードもありました。
若い時から大変な読書家であったエカテリーナ2世は、モンテスキュー、ディドロ、ジャン・ジャック・ルソーといったフランスの哲学者たちの著作を愛読していたのですが、ヴォルテールも女帝が愛した知識人のひとり。実際、2人の文通はヴォルテールが亡くなるまで続きました。また彼の死後、エカテリーナ2世は、7000冊にも及ぶ「ヴォルテール蔵書」を遺族から買い上げ、冬宮の図書館にヴォルテールの彫刻とともに納めています。
今回出品されている《ヴォルテールの朝》と《植樹するヴォルテール》は、「ヴォルテールの生活の細部に関心をいだ」いていた(by 展覧会カタログ)エカテリーナ2世が、当時、彼と同居していた素人画家のジャン・ユベールに描かせたもの。この2枚の他、エルミタージュ美術館には、ヴォルテールの日々の生活の一場面を描いた作品が7点所蔵されているそうです。
エカテリーナ2世は、「ヴォルテールの連作を早く送って!」と催促するぐらい、これらの絵を楽しみにしていたのだとか。それにしてもいくらヴォルテールの生活に興味があったからと言って、朝の着替えシーンまで必要だったのかどうか理解に苦しみますよねえ。エカテリーナ2世って、けっこうストーカー気質があったのかも……。今彼女が生きていたら、個人のブログやツイッターをくまなく巡回して、「今日のヴォルテール情報」を集めていたかもしれません。
もうひとつエカテリーナ2世が直接購入した作品は、ライト・オブ・ダービーの《外から見た鍛冶屋の光景》です。画家の本名はジョゼフ・ライト。イギリスはロンドン北部に位置する都市「ダービー」に生まれたことから、「ダービーのライト=ライト・オブ・ダービー」と呼ばれました。「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(ヴィンチ村のレオナルド)みたいなもんですね。
彼は、日本ではほとんど知られていませんが、イギリスの産業革命期を描いた画家として注目されます。蒸気機関の発明者ジェイムズ・ワットや製陶業者のウェッジウッド他、同時代の科学技術者たちとも交流し、新しい技術や発明、実験の様子を絵画の中に残しました。本作で描かれているのも、鉄を大量生産できるようになったこの時代の、最先端の製鉄作業の様子なのだそうです。
エカテリーナ2世は、この絵と同時に、ライトの作品を他に2枚購入しています。ひとつはポンペイの悲劇で有名なイタリアのヴェスビオ火山の噴火を描いたもの、もうひとつはヴァチカンのサン・タンジェロ城の花火大会を描いたもの。自然と人工物との違いがあるとはいえ、画家が「炎」の表現に魅せられていたことを物語るテーマです。《外から見た鍛冶屋の光景》も、炎の発する光と影のコントラストにより、鍛冶屋の場面がまるでお芝居の舞台を観るように劇的に描かれているのが印象的です。
エルミタージュ美術館の学芸員さんによると、エカテリーナ2世が、これら3枚のライト作品を購入したのは、「画題が面白かったからではないか?」とのこと。とくに「産業革命」という社会や技術の変革を根底に読み取れる《外から見た鍛冶屋の光景》は、彼女のような国家君主には、絵画の持つ芸術性の他にも、いろいろと興味深いものがあったのではないかと思われます。
ただし、『エルミタージュ 波乱と変動の歴史』(郡司良夫・藤野幸雄/共著 勉誠出版、2001年)という本では、エカテリーナ2世のイギリス絵画収集について面白いことが書いてありました。それは、彼女の実質的な夫(ロシアの共同統治者)でもあった愛人ポチョムキンが、イギリス絵画の大ファンで、「彼が好んだイギリス絵画をエカテリーナが熱心に集めたことは有名」だったそうなんです。実際女帝は、その絵画コレクションを飾るための豪邸を愛人に造ってあげています。それが、現在もネヴァ川沿いに建つ「タウリダ(タヴリーダ)宮殿」(ロシアでは、貴族のものでも豪壮な屋敷は「宮殿」と呼ばれます。例:サンクトペテルブルク随一の貴族の館「ストロガノフ宮殿」、エカテリーナ2世が別の愛人オルロフのために建てた「大理石宮殿」など)。ロシア革命後に第一回閣議が開催された、ロシアの貴族建築の傑作と言われる建物です。
《外から見た鍛冶屋の光景》がこのポチョムキン邸に飾られていたかどうかは定かではありませんが、会場で本作品のすぐ近くに展示されているレノルズの《ウェヌスの帯を解くクピド》は、ポチョムキンのために描かれ、後にエルミタージュに入りました。エルミタージュ美術館にイギリス絵画が豊富なのは、女帝が愛する寵臣のためにせっせと絵を買ってあげたおかげなんだそうです。
それでは、本日はこのへんで。
ダ スヴィダーニャ(さようなら)!
本日のおまけ
蠱惑的な表情のウェヌス(ヴィーナス)と、その帯を解こうとするキューピッドの図。作者のレノルズは、当時のイギリス画壇のボスで、サンクトペテルブルクを訪れた際には、エカテリーナ2世に拝謁もしました。ここで描かれているのは、当時のイギリスのスキャンダルメーカー、エマ・ハート(エンマ・ハミルトン)とも言われています。庶民の出身であった彼女は、その美貌で地位ある男性と次々と浮名を流し、イギリスの英雄ネルソン提督と夫公認の愛人生活を送りました。しかし提督が(イギリスがナポレオンに勝利した)「トラファルガーの戦い」で名誉の死をとげた後は、すっかり落ちぶれてしまったということです。
©Photo: The State Hermitage Museum, St. Petersburg, 2012
アートライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」などでアート情報を執筆。アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。