コラム COLUMN
ズドラーストヴィチェ(こんにちは)!
アートライターの木谷節子です。
さて、本日から、いよいよ本丸、エルミタージュ美術館探訪とまいりましょう。
以前から何度か地図に出てきたように、エルミタージュ美術館は、ネフスキー大通りの突き当り、「宮殿広場」に位置しています。ここは、旧海軍省と旧参謀本部、そしてロマノフ王朝の宮殿だったエルミタージュ美術館に囲まれた広場で、こんなに広い!
とくに凱旋アーチを中心に、翼を広げるように弧を描く旧参謀本部は壮観で、この広場を見ただけでも、すべてがゆ~ったりと広がるロシア独特のスケール感を感じずにはいられません。
この宮殿広場一帯は、前回詳しくご紹介しなかったニコライ1世が整備したそう。ニコライ1世は、祖国戦争でナポレオンに勝利したイケメン、アレクサンドル1世の弟で、クリミア戦争を始めたにもかかわらず途中で死んでしまった皇帝です。自由主義者を弾圧したり、あの国民的詩人のプーシキンに圧力をかけたり、後世の評判はあまりよろしくないようですが、とにかくこの皇帝の時にロシアの力は強まり、サンクトペテルブルクはますます発展を遂げました。
そして、旧参謀本部の向かい側に建っているのが、我らがエルミタージュ美術館!黄金の窓飾りがきらめく白と緑の外壁が、日本の「わび・さび」なんて美意識知らないね、って感じで延々と続いているのですが、実はこの壁、時代ごとにいろんな色に塗りかえられており、共産主義時代はなんと!赤色だったとか……。そもそも1764年の創設当初は、旧参謀本部と同じような(?)薄い黄色だったそうなので、日本人的には「オリジナルの色 にしとけばいいのに」と思うのですが、どうやらロシア人には、そういうこだわりはないようです。
さて、このホームページの「展覧会紹介(サンクトペテルブルクとエルミタージュ)」のところでも書いたように、この美術館は、冬宮、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場という5つの建物が渡り廊下で結ばれた、それはそれは複雑巨大なミュージアム。現在の展示室は約400、それを全部つなげるとゆうに20㎞以上になると言われています。私は、今回の取材で5日間美術館に通いましたが、結局ガイドさんなしで館内を自由に歩き回れるまでには至りませんでした。今後、現地に行かれる方、「自由見学の後、何時にここに集合してください」なんてことになりましたら、30分前から集合場所をなんとなく目指してくださいね。10分前に約束の場所に行こうとして迷おうものなら、大パニックです。それからトイレは1階にしかありませんので、見学前に済ませておくと良いでしょう。
エルミタージュ美術館は宮殿建築としても見どころ満載なのですが、字数も限られていることですし、本日は16000点にのぼるという絵画コレクションの中から、美術館が誇るお宝を、ガイド的にご紹介しましょう。
まず、どの美術館も、この人の作品を持っていると箔がつくのが、レオナルド・ダ・ヴィンチ。エルミタージュ美術館では1865年、アレクサンドル2世の時に、レオナルドが30代後半で描いた美しい聖母子像《リッタの聖母子》(1490年頃)を購入しました。エルミタージュにはもうひとつ、《ブノワの聖母子(花を持つ聖母)》(1478年頃)というレオナルド20代半ばの聖母子像が所蔵されているのですが、こちらは幼いイエスとそれを抱くマリアの姿が、母子というよりは姉弟みたい。万能の天才レオナルドの、まだ若描きでぎこちない感じが、かえって微笑ましい作品でした。
貸し出しか何かで、カラヴァッジオの《リュートを弾く若者》(1595年頃)が観られなかったのは残念でしたが、イタリア絵画ではヴェネチアの至宝ティツィアーノの《ダナエ》(1546-53年)も必見。フランドル絵画では《虹のある風景》(1632頃-35年)などが日本で展示されるルーベンスが充実していた印象です。それからスペイン絵画は、スルバランやムリーリョのかわいらしいマリア様が満開でした。
ざっと見ただけでも、エルミタージュ美術館にはこんな名品があるのですが、その中でも目を見張ったのは、17世紀オランダ絵画の巨匠、レンブラントのコレクションです。本展では《老婦人の肖像》(1654年)がお目見えする彼の絵画は、「レンブラントの間」にまとめて紹介されています。ものの本によると、そのコレクションの数は20点以上。しかもその中には、《放蕩息子の帰還》(1668-69年)、《ダナエ》(1636年)、《フローラに扮したサスキア》(1634年)、《イサクの犠牲》(1635年)……と、美術書でお馴染みの名品が数々含まれています。実を言うと、レンブラントの代表作《夜警》(1642年、アムステルダム国立美術館)や、《テュルプ博士の解剖学講義》(1632年、マウリッツハイス美術館)を所蔵するオランダの美術館に行った時よりも、「レンブラントを観た!」という気持ちになりました。
エルミタージュ美術館のオランダ絵画は、かの国でなぜか船大工もやっていたオランダ好きのピョートル大帝とエカテリーナ2世の頃に大量に集められたということです。とくにエカテリーナ2世は、各国に芸術に精通したブレーンを置き、その情報をもとに美術品を戦略的に買いあさったわけですが、彼女の絵画収集には、パリとハーグの大使をつとめたD.A.ゴリーツィンという人が活躍しました。なんと、上に挙げたレンブラントの名品は、すべてゴリーツィンが入手したもの。「本当のところ、エカテリーナ2世って、絵画を見る目はあまりなかったんだよね」などと言われておりますが、彼女の適材適所で人を使う才能は、やはり素晴らしかったんでしょうね。
もうひとつエルミタージュ美術館で鳥肌モノだったのは、本展の目玉、マティスの《赤い部屋(赤のハーモニー)》(1908年)を購入した、ロシアの富豪シチューキンのコレクションでした。こちらは話せば長くなりますので、後日あらためて書くといたしましょう。
それでは、本日はこのへんで。
ダ スヴィダーニャ(さようなら)!
Photo by Valentin Baranovsky
アートライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」などでアート情報を執筆。アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。