レンブラントはオランダ西部の都市レイデンに、製粉業を営む裕福な家庭に生まれました。7歳でラテン語学校に入学、14歳でレイデン大学に入学したものの、すぐに辞めると画家としての道に進み始めました。当時アムステルダムで人気画家だったピーテル・ラストマンの工房で約半年修行し、それからレイデンへ戻ると画家として独立しました。
25歳の頃アムステルダムへ移住した彼は、市民の台頭していたこの都市において多くの肖像画の注文を受けました。徐々にその名声を確立しつつ、《トゥルプ博士の解剖学講義》や《夜警(バニング・コック隊長率いる火縄銃組合の人々)》の成功により一躍有名になったのです。
レンブラントのもとには多くの弟子が集まり、さらに名門の娘サスキアと結婚して社会的な地位も手に入れました。一方で《夜警》制作の年からは最愛の妻サスキアを失い、当時の経済状況や浪費癖により破産に追い込まれるなど、晩年に向けて苦難を味わうことになったのです。明暗表現を追及した彼の人生もまた、光と影のようでした。