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©Photo RMN - H. Lewandowski

 これは、完成度と大きさにおいて、ドラクロワの初期の画業における動物画を代表する作品です。ドラクロワの戸籍上の父シャルルは、フランス革命後に外務大臣を歴任するなど政府の要職にあった人物ですが、本当の父親は、政治家タレーランだったと考えられています。ドラクロワは幼くして父を失った後パリに移り、1815年に美術学校の教師ゲランのアトリエに入り、翌年美術学校に入学しました。しかし師のアカデミックな考え方には共感を覚えることはできず、ルーブルで模写したルーベンスやベネチア派から多くを学ぶとともに、年長の友人ジェリコーらが絵画にもたらしたロマン主義へと傾倒していきました。若い頃よりドラクロワは動物、とくに虎やライオン、ピューマなどの猛獣を観察することを好み、1820年代後半より、動物の彫刻家として名高いアントワーヌ・ルイ・バリーらとともに、パリの王立植物園内にある動物園に足繁く通い、スケッチを幾度となく行いました。この作品もその成果の一つです。一見したところでは2匹の虎が親子関係にあることはわかりません。事実、本作が出品された1831年のサロンのカタログには「2匹の虎の習作」とだけ記されています。実は「母虎と戯れる子虎」と呼んだのは、サロンの審査員であり、それが現在までそう呼ばれるきかけとなったらしいのです。
【解説】 横浜美術館 学芸員 新畑泰秀