真珠湾攻撃から80年・・・103歳元搭乗員語る
吉岡政光さん103歳。
魚雷を落とす雷撃機の搭乗員として
真珠湾攻撃に参加。
当時23歳でした。
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「私が魚雷を落とした時間がですね
日本時間の午前3時33分
真っ白い水柱がこう浮かび上がってくる
『ああ当たったぞ!』と」
魚雷を落としたい、
あてたいということしか考えてなかった」
80年前、
旧日本軍がアメリカ・ハワイを
奇襲した「真珠湾攻撃」。
その後に続く太平洋戦争の始まりとなりました。
この時、吉岡さんが乗っていたのが
97式艦上攻撃機。
今回、その攻撃機の初期型のレプリカが
制作されている場所を訪ねました。
○櫻井
「吉岡さん覚えてますか?」
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「はい」
重さ800キロを超える
魚雷を抱え飛行した攻撃機。
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「ちょっと降ろさせていただいていいですか」
吉岡さんも実物大を目にするのは
80年ぶりのこと。
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○櫻井
「吉岡さん3人乗ってたんですか」
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「3人です。私は真ん中に乗っていたんです」
吉岡さんが決死の覚悟でのった場所に実際に乗ってみると。
○櫻井
「結構中深いですね、完全に逃げ場がない」
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「入ったらもうそんなに体動かすことが
できないですよ」
こうした攻撃機と共に向かったハワイへの奇襲。
○櫻井
「真珠湾攻撃はどんな戦いでしたか」
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「日本は飛行機の燃料なんかもみんな
アメリカから購入してたはずです。
どんな仲が悪くても
アメリカと戦争するとは思わなかった。」
目的も知らないまま
攻撃機を載せた空母で出航した吉岡さん。
海の上でハワイへの奇襲を伝えられました。
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「これから連合艦隊全部力を合わせてやると
言われたので戦いに参加させてくれてうれしいなと」
○櫻井
「うれしいなって?」
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「はい、そう思ってたんですけどね
これは大戦争でおまえたちは死んでくれ
ということだなと要は決心しなくちゃならない。
23歳の若造が死ぬということを決心する
ということは大変なことですよ」
さらに。
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「数日をすぎてから拳銃を一丁いただいたんですね」
○櫻井
「なんでですか?」
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「それはもしもの時の自決用の」
そして1941年12月8日、日本時間未明。
○櫻井
「向かうときの気持ちは覚えてらっしゃいますか」
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「機体から下をみましたところ『ハワイだ!』って。
するとすぐに全軍突撃せよってなりました
翼のちょっとの間を顔をあげたら
白い洋服をきた兵隊がたくさんのっていた
それをちらっとみながら
操縦員が『よーい射て』って言ったので
私がもっている魚雷を落とす投下索を引っ張って」
○櫻井
「そういうときお気持ちはどういう」
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「魚雷を落としたからには
自分のは当たってもらいたいですよね。
だからそればっかり一生けん命やって眺めて。
魚雷があたったということで非常に安心しましたけど」
吉岡さんが放った魚雷でアメリカの軍艦ユタは沈没。
真珠湾攻撃では民間人を含むアメリカ人
およそ2400人が命を落としました。
○櫻井
「戦時中というのはもちろんですけど
アメリカ兵を殺してしまったという感覚は?」
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「私は『航空母艦と戦艦を沈めてこい』
という命令を受けているんですね。
『人を殺してこい』ってことは聞いていないです。
したがって命令通りの仕事をしたんだ。
もちろん人が乗っていることはよくわかっています。
しかしその環境というと私も同じ条件です。
ですけどもそれとは切り離すと
戦争はしちゃいけないということを
一番身をもって知っているのは
私たちだと思っています」
同じ空母に乗っていた仲間は
その後の戦いでほとんどが戦死しました。
終戦後100歳を超えるまで
この体験について
ほぼ話すことはなかったという吉岡さん。
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「戦争の話をしますと顔を知った人が
浮かんでくるんです。
あれも死んだなこれも死んだなって
思い出すもんですからなんとなく思い出したくなくて
話してこなかった」
○櫻井
「真珠湾から80年経つ今若い世代に
伝えたいことはありますか」
○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳)
「戦争というのは一番人が死ぬんですよね
戦争だけはやめた方がいいということは
私たちが一番よく知っているんです。
だから私の話を聞いてもらってね
少しでも人が人を殺しちゃいけないということを
頭の芯からおぼえるように
助けになれればいいなと思っている」