米沢藩主上杉家に伝わったもので、洛中洛外図の中でも最高傑作とされます。将軍足利義輝が日本を代表する絵師のひとり狩野永徳に描かせたもので、永禄8年(1565)に完成し、義輝没後に織田信長が入手して、上杉謙信へ贈ったと考えられています。将軍家と関わりの深い相国寺の七重大塔から眺めた景観を描いたともいわれ、金の雲間から尖った屋根をのぞかせる表現が特徴的です。貴族、武家の邸宅や寺院など京都のランドマークが数多く描かれ、登場人物も老若男女2500人近くにのぼり、重厚な金雲のあしらいや自然や建物の色感は華やかで、見る者に圧倒的な印象を与えます。
画面中ほどの小川通では、門松を作る年男が箸を使ってその先端に歳玉(餅)を供えるしぐさが事細かに描かれているなど、民俗的な資料としても興味深く、若き永徳の細密表現の技量の高さにも目を奪われます。
三条公爵家から町田家に伝来し、三条本あるいは町田本ともいわれています。現存する洛中洛外図屏風のうち最古の作品で、1520年代から30年代ころまでの京都の景観が描かれており、応仁の乱後の京都を細密にあらわした資料的価値が高い作品です。左隻は鴨川が左から右へ流れ、東山から比叡山、そして洛中下京の景観を四季の変化にそって描いています。画面中ほどに、祇園祭の山鉾が描かれ、右隻は北野天神、龍安寺、桂川、太秦から雪に覆われた上加茂社などを見渡すことができ画面中ほどに上京の町並みを描いています。通例の屏風絵とは違って、左から右へ春から冬へと季節が巡っていきます。また、金箔地を使わず金泥で霞が棚引くように装飾された画面は穏やかで、気品のある表現となっています。
洛中洛外図屏風 舟木本 左隻2扇(部分)