京都の市中(洛中)と郊外(洛外)の景観を高い視点から見下ろして描いた「洛中洛外図」は、室町時代から描かれはじめ、江戸時代を通して数多く制作されました。
そのほとんどが屏風絵で、四季が巡るなか、御所(皇居)をはじめ貴族や武家の御殿、名高い寺社、観光名所をとりあげて、そこに暮らす人々の生活を余すところなく描き出した風俗画です。
現存する「洛中洛外図屏風」は100点ほどが知られていますが、本展では狩野永徳が手がけた「洛中洛外図」の最高峰「上杉本」や岩佐又兵衛の「舟木本」など、国宝、重要文化財の7件すべてを展示します。
当時の都市景観を反映したこれらの「洛中洛外図屏風」は、美術的な価値だけでなく、建築史など、さまざまな分野でも高い資料的価値をもっています。
一方で、黄金の光をまとう「洛中洛外図」は、当時の現実の京都を描いたのではなく、それぞれの絵の注文主と制作者たちが夢見た京都を描いているともいえます。それらを対照しながら、かつての都を俯瞰してみましょう。
この屏風は滋賀県の医師・舟木氏がもとの所蔵者であったため、舟木本の名で知られています。左右の屏風を並べると7mほどの画面幅に、 南からみた京都の景観を、東から西へ連続的に展開させ、鴨川の流れが左右の画面をつなぎます。右端には、豊臣秀吉が建てた方広寺大仏殿の偉容を大きく描き、 左端には徳川家康が建造した二条城を置いて対峙させています。
左隻・2扇の三条大橋と高瀬川に架かる小橋が続くあたりには、祇園祭の風流が行きかいます。その先には南蛮人の姿もみえ、店先での商いや、街路をゆく芸能者などが通りをうめています。画面下方、東寺の堂内では僧たちが読経していますが、隅で若い人を抱きしめる僧の姿もみえます。
舟木本は、建物や人々をクローズアップして取り上げていることが特色です。熱気に溢れた京都の人々の生活の諸相をじっくりご覧ください。
牛若丸と弁慶が出会った場所として唱歌にも唄われた五条大橋。ここに描かれているのは、豊臣秀吉が建立した方広寺の大仏参拝のために新たに架けられた橋です。花見の宴が終わり桜の枝や扇、日傘をもった集団が、身をくねらせて踊りながら賑やかに橋をわたっていきます。酔いつぶれて二人に肩を担がれている男もいます。
橋下には薪を満載した高瀬舟が2艘並んで鴨川を上っていき、船頭が橋上の騒ぎに驚いて見上げています。人々の喧騒が聞こえてくるようです。また、この橋から四条にかけての四条河原(画面左方)には、人形浄瑠璃、遊女歌舞伎などの芝居小屋がひしめいて、人々の浮世への欲望が余すところなく活写されています。この五条大橋と周辺の情景は、画面中央あたりに大きく描かれた舟木本のハイライトといえるでしょう。
洛中洛外図屏風 舟木本 左隻2扇(部分)