「洛中洛外図」で空高く俯瞰する視点から京都を眺めた後は、そこに描かれている建物のなかに入ってみましょう。展示室では伝統と権威の象徴である京都御所、世界的にも知られる禅宗寺院の龍安寺、そして徳川将軍家の権力を誇る二条城の3つの建物の室内を彩った障壁画をご覧いただきます。
絵筆をとったのは、天下人、織田信長や豊臣秀吉に仕えた狩野永徳、そして徳川家康に仕えた狩野探幽など、画壇の頂点を極めた当代一流の絵師たちです。彼らはその絵によって、宮廷の伝統的権威を高め、信仰の場を荘厳し、武家の威光を示しました。
本展では龍安寺の襖絵や二条城黒書院の障壁画を、当時の配置を生かしながら再現展示し、かつての京都の美的空間を甦らせます。
代々の天皇が住み、執務した宮殿、京都御所(皇居)は、永く政治の中心であり、宮廷文化を育んできました。天下人が覇を競った時代、天皇や名門貴族との関係をいかに築き上げるかが、武家にとっての一大重要事となりました。そのため御所は「洛中洛外図屏風」に必ず大きくとりあげられています。屏風には「洛中洛外図」の注文主である武将と宮廷との関係が色濃く反映されているのです。
御所には重要な儀式を行う紫宸殿や天皇の日常生活の場である常御殿、儀式、行事の場である清涼殿などが建ち並びます。それらの室内を飾る襖や壁面には、当代一流の絵師たちが筆を揮いました。本展では安土桃山時代から江戸時代初期の天皇が住まう御所を彩った格式豊かな障壁画によって、王朝文化の伝統と、彩り豊かにして厳かな空間をご覧いただきます。
南禅寺の大方丈(本堂)は、慶長16年(1611)に御所の建物を移築したものです。その室内を飾る襖絵は現存最古の御所の障壁画として極めて貴重です。
そのなかでも、傑出したできばえを見せるこれら「群仙図襖」は、狩野永徳によるものです。もとは天正14年(1586)に豊臣秀吉の命によって建てられた正親町院(1517 - 1593)の仙洞御所(譲位後に天皇が住む建物)のうち、対面所(主従関係のものが対面する儀礼の場)を飾る襖絵でした。安土桃山時代を代表する絵師永徳が一門を率いて、宮廷の最も格式高い宮殿を闊達な筆遣いで彩り豊かに飾っていたのです。
この襖絵には理想とされる神的存在として仙人たちが描かれています。図版は、鍾離権がその弟子、呂洞賓に仙術を伝授している場面です。
御所の正殿である紫宸殿は、即位や大嘗会など朝廷の重要な儀式を行う最も格式の高い場です。その母屋と北廂との境に立てられる障子には、中央部分に一対の松と、獅子・狛犬が配置されて、その左右に中国古代の賢人聖人たち32人が描かれました。名臣たちは高御座(玉座)の背後に控え、天子はその徳を偲びます。
今に伝わるこの作品は、当時、宮廷の絵所預(絵師の長)も務めていた狩野孝信(1571 - 1618)が、慶長期に建てられた紫宸殿のために、永徳亡き後、狩野一門を統率する絵師として、最も格式ある画題に腕を揮ったもので、力強い筆線と彫りの深い顔の表現が特徴的です。寛永18年(1641)、仁和寺に下賜された紫宸殿に設えられていた現存最古の賢聖障子絵です。
南禅寺 大方丈