龍安寺は室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総大将でもあった細川勝元(1430 - 1473)が義天玄承(1393 - 1462)を開山に迎え、宝徳2年(1450)に創建した歴史ある禅宗寺院です。
「洛中洛外図」にも、必ずといっていいほど取り上げられる龍安寺は、庭園にある鏡容池の鴛鴦で知られた名所でした。また豊臣秀吉は天正16年(1588)2月24日に龍安寺に訪れ、しだれ桜を鑑賞し歌を残しています。石庭は知る人ぞ知る名園でしたが、昭和50年(1975)、英国のエリザベス女王が訪れて絶賛され、海外にまでその名声が広がることになりました。
世界的に知られる龍安寺の堂内を飾り、石庭を見つめていた襖絵は散逸していましたが、その一部が近年、寺に帰還しました。さらに海を渡った襖絵がメトロポリタン美術館、シアトル美術館より里帰りし、本展で一堂に会することで、信仰の場を荘厳した煌びやかな禅空間が再現されます。
龍安寺の方丈は、寛政9年(1797)の火災で焼失したため、慶長2年(1606)に織田信包(信長の弟)によって建立された塔頭、西源院の方丈が移築されたものです。その室内を飾る襖絵は、狩野一門の手によるもので、桃山絵画の特徴が色濃くあらわれた力強い人物画を中心としたものでした。
それらの襖絵は明治の廃仏毀釈の波に飲まれて、九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門の手に渡り、昭和8年(1933)に大阪城築城350年を記念した展覧会で一般公開された後、昭和26、27年ころに所在がわからなくなりました。
この絵はフロリダのコレクターがハワイで購入し、1989年にメトロポリタン美術館へ寄贈したもので、もとは龍安寺の方丈の中央の部屋(室中の間)を飾っていたことがわかっています。
画面には風を意のままに操ることができたという仙人・列子が描かれています。この4面とともにメトロポリタン美術館に所蔵される「琴棋書画図襖」4面は、はじめての里帰り公開となります。
明治28年(1895)に龍安寺を離れて流浪の旅に出たのちに、平成22年(2010)、115年ぶりに帰還した襖絵六面を展示します。右の画像はそのうちの4面です。メトロポリタン美術館蔵の列子図襖とともに、室中の間を飾っていたものです。
残りの2面には、従者が琴を持っている場面があり、メトロポリタン美術館、シアトル美術館に分蔵される「琴棋書画図襖」と同じ、室中の間の西隣にある上間南の間(檀那の間)を飾っていたことがわかっています。
龍安寺 石庭