なぜ『アニー』は世界中で愛されているのか?今年で35年目!ミュージカル『アニー』の人気の秘密!
暗いニュースが多い今だからこそ見て欲しい!「明日は必ず来る!」勇気をくれるミュージカル『アニー』に学ぶ!
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◆『アニー』誕生秘話!新聞の4コマ漫画からスタートした『アニー』には実在のモデルがいた!
『アニー』はシカゴで新聞漫画家のアシスタントとして働いていたハロルド・グレイによって生み出されました。
漫画のアイデアを探して路地裏を歩いていると、1人の少女に出会います。
過酷な環境でも明るく前向きに生きる『アニー』を見て、彼女を主人公にすることを思いついたのです。
新聞漫画『アニー』は、何人もの漫画家がリレーをする形で、86年も続きました。
◆ミュージカル『アニー』の舞台は、世界大恐慌真っ只中の1933年ニューヨーク!
当時の大統領ハーバート・フーバーは苦しむ国民を見ても有効な対策を打ち出せません。
そのせいで失業者たちはボロボロの家に住んでいました。
ボロボロの街はフーバー大統領を皮肉って「フーバービル」と呼ばれました。他にも、ガソリンがなく馬が引く自動車のことを「フーバーワゴン」、お金がない空っぽのポケットを「フーバーフラッグ」などフーバー大統領を皮肉った数々の言葉が生まれました。
悲惨な生活を送る人々はミュージカルの中で、「読み終えた新聞も捨てちゃダメ!」と歌っています。
極寒のニューヨークでは、空気を通さない新聞紙は貴重な防寒具だったのです。
◆ミュージカル『アニー』と言えば…名曲“トゥモロー” アニーの前向きさが世界を変える!
ミュージカルでアニーはフランクリン・ルーズベルト大統領の前で「トゥモロー」を披露しています。
評判の悪かった前大統領のフーバーに代わり就任したルーズベルトは、世界恐慌から立ち直ろうと景気対策に積極的でした。しかし、日に日に悪化する状況を前にいい案が思い浮かばす悩むルーズベルト。
そんなルーズベルトに対しアニーは…「明日が来ればトゥモロー、いいことがある!」と、「トゥモロー」を歌ったのです。
実際にもルーズベルトはニューディール政策(新規まきなおし政策)を打ち出し、大規模な公共事業で失業者に仕事を与え、アメリカの景気回復のきっかけを作ったのでした。
アニーのような前向きさが国をも変えるこの物語には、大恐慌を乗り越えてきたアメリカの歴史も反映されているのです。
◆劇中で2回歌われる“トゥモロー” それぞれの意味と、今伝えたいこと
実は「トゥモロー」は劇中で2回歌われています。
1人ぽつんと犬と一緒に「自分たちにだって未来がくるよ…」と本当に明日が来るのか、アニー自身も不安な気持ちで歌う「トゥモロー」
世界が大変な状況で大統領のもとで「大丈夫!明日が来れば大丈夫だよ!」と確信を持って歌う「トゥモロー」
今こそ、明日を信じられなくなった大人たちを励ました「トゥモロー」を聞いてみてはいかがでしょうか?
◆1978年に初めて日本で上演された『アニー』 演じていたのは大人!その理由は?
1977年にアメリカで初めてミュージカルになり、その1年後には日本でも日本版『アニー』が上演されました。
初代アニー役に抜擢されたのは、宝塚女優だった中間裕子さん、当時20歳の立派な大人でした。
当時色々な条件をクリアするために、大人である必要があり、154cmと小柄で、宝塚でも子役を演じていた中間さんがアニー役に選ばれたのです。
しかし、宝塚女優ゆえに困ったことも…。
踊りをやっているので足は真っ直ぐに、締まっていくために、子供らしい足に見えないのです。
そこで、靴下を重ね履きして、子供のふっくらとした足に見えるように工夫したそうです。
◆ミュージカル『アニー』に欠かせない存在、犬のサンディ!
初めて上演された『アニー』の控え室に「サンディに冷たくして下さい」の張り紙!
舞台上ではアニーにだけサンディがなつくという設定を短期間で覚えさせるため、他の出演者やスタッフは心を鬼にして冷たく扱っていたそうです。
※ミュージカル「アニー」最新の公演情報はアニー公式HPでご確認ください。